沿革と設置目的

1962年
(昭和37年)
「原爆被爆者の後障害の治療並びに発症予防及び放射線の人体への影響に関する総合的基礎研究」を目的として設置された。毎年1部門が増設され、1967年(昭和42年)に6部門が完成し(異常代謝部門、放射線生物物理学部門、病態生理学部門、後障害治療部門、先天異常部門、発症予防部門)、残留放射能の測定、被爆者疾病の病理学的研究、放射線障害の発症機序の解明、白血病や放射線誘発癌の発症機序の解明と治療法の開発等を中心に総合的研究を展開してきた。
1972年
(昭和47年)
「原爆被災の実態を明らかにするための諸資料の収集、整理、保存」を目的として「原爆医学資料センター」が設置された。
1974年
(昭和49年)
「原爆医学資料センター」が、昭和48年に米国AFIPより被爆者剖検例等の被爆資料・試料が返却されたことを機に、「原爆被災学術資料センター」と改称された。「原爆被災の実態を明らかにするための諸資料・試料の収集・整理・保存」を目的として業務を行ってきた。
1989年
(平成元年)
創設25周年記念誌を発刊した。PDFPDF-9.6MB
1997年
(平成9年)
「原爆後障害医療研究施設」と「原爆被災学術資料センター」と整備統合され、新しい「原爆後障害医療研究施設」として再スタートした。以後「原爆被爆や放射線被曝事故等による放射線障害発症機構の分子レベルでの解明と放射線被曝者の分子標的治療・遺伝子治療の開発」を目的として研究を展開している。疫学的研究、個体・細胞レベルでの研究から分子レベルの放射線障害発生機序解明、被ばく者の分子診断法の開発、さらには分子標的治療法・遺伝子治療法の基礎的開発とその臨床応用の研究を展開するともに、放射線障害者(ヒバクシャ)の国際的調査や医療協力を幅広く実施し、さらに原爆後障害医療の情報センター的性格を併せもった総合研究施設として活動している。
2001年
(平成13年)
増改築により現在の新研究棟が完成した。
2002年
(平成14年)
文部科学省21世紀COEプログラム「放射線医療科学国際コンソーシアム」に採択された。
2003年
(平成15年)
医学部付属から前年度に発足した医歯薬学総合研究科附属に配置換えとなり、放射線医療科学専攻の中核施設となった。
2007年
(平成19年)
文部科学省グローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」に採択された。
2013年
(平成25年)2月
創設50周年記念シンポジウムを開催した。
2013年
(平成25年)4月
長崎大学原爆後障害医療研究所に改組された。
2014年
(平成26年)4月
3部門制から4部門制へ改組、放射線・環境健康影響共同研究推進センターが新設された。
原爆後障害医療研究所2号館を改修し、新たに原爆医学資料展示室と熱帯医学ミュージアムを併設した長崎大学医学ミュージアムが竣工された。
2016年
(平成28年)4月
ネットワーク型共同利用・共同研究拠点「放射線災害・医科学研究拠点」に認定された。

長崎大学原爆後障害医療研究所外観