一般の皆さまへ

放射能Q&A
Question :
Q 1. 放射能と放射線はどう違うのですか。
Q 2. 放射線と人間のかかわり合いは、いつごろからですか。
Q 3. 放射能には「半減期」があるといいますが、「半減期」とは何ですか。
Q 4. 放射能はどのくらい怖いのでしょうか。いつも訳の分からない単位が出てきて、よく理解できないどころか、放射線の安全性についてだまされているような気がします。
Q 5. 原爆と原子炉はどう違うのですか。
Q 6. 原爆の威力を教えてください。
Q 7. 長崎原爆はプルトニウム爆弾だったそうです。プルトニウムは毒性が強い物質であると聞いています。プルトニウムの毒性とはどのようなものでしょうか。
Q 8. 体内に取り込まれた放射線の量を測定するには、どのような方法がありますか。
Q 9. 25歳で妊娠8か月です。妊娠3か月の時、おう吐と食欲不振のため病院で受診し、腹部のレントゲン撮影を受けました。今の状態のまま出産しても子供は大丈夫でしょうか。
Q 10. 「放射線を浴びると、染色体に異常を来し、子孫に悪い影響を及ぼす」と言われています。事実としたら、そのメカニズムを教えてください。
Q 11. どうして放射線でがんが発生するのですか。
Q 12. 原爆被災者の被ばく放射線について教えて下さい。
Q 13. 白血病と原爆の関係を教えてください。
Q 14. 原爆放射線は動物や植物にも影響を与えましたか。
Q 15. 原爆の精神的影響について教えてください。
Q 16. 被爆者の健康管理はどのように行われていますか。
Q 17. チェルノブイリ原発事故後、子供の甲状腺がんが増えたそうですが、どうしてですか?
Q 18. 医療の中における放射線の役割を歴史的に教えてください。
Q 1. 放射能と放射線はどう違うのですか。

A たき火に例えると火が「放射能」熱が「放射線」です。
   病院などで受けるエックス線検査のように、目に見えない放射線発生装置(線源)から照射されて人体などを透視し、特殊フィルムの上に影をつくるのが放射線の力です。
 つまり、透視する線のことを「放射線」といい、その発生源のことを「放射能」と理解してください。ちょうど「火」が「放射能」にあたり、それから放射される「熱」が「放射線」にあたります。
 物理学的に説明してみます。私達の身の回りにあるすべての物は原子で形づくられています。原子番号の同じ原子(元素)には、水素、酸素、炭素など112種類があります。原子(元素)の中には、そのままでは不安定で、自然に壊れて放射線を出し、安定した原子に変わっていくものがあります。これを放射性同位元素と呼びます。また、この現象が核壊変と呼ばれるもので、壊れる時にエネルギーとして熱を出します。
 ウランやプルトニウムという原子は、質量が他の原子に比べ大きいので、自然に核崩壊をしていますが、人工的に濃縮すると核分裂が連鎖的に起こり、多大なエネルギーを出します。原子力発電所で使われている低濃縮ウラン、例えば3%濃縮ウランの1 グラムの熱量は石炭3トン分と同じ量になります。また、99%まで濃縮した放射性ウランをを利用したのが原爆です。
 宇宙で惑星が誕生する際、核爆発に似た大爆発がおこり、常に放射線を放出して宇宙放射線として地球に降り注いでいます。また、太陽からも宇宙放射線が届いています。地球の深部にあるマグマや地表に出た溶岩にも、放射性物質が含まれていますし、火山地帯には地熱により温泉がわきますが、この温泉にも放射性物質が溶け込んでいます。
 その他、私達が日常食べている食物にも放射性物質が含まれています。つまり、私たちは常に放射線を浴びて生活しているわけです。
 放射線はアルファ線(ヘリウムの原子核で陽子2個と中性子2個)、ベータ線(電子)、ガンマ線、中性子線などの粒子線と、電磁波であるガンマ線及びエックス線があります。違いは、物理学的性質、物質を突き抜ける力の強さや、物質と反応する能力の強さです。中でも透過力の高いエックス線は、病院でレントゲン撮影、CT検査など、いろいろな分野で使用されています。
Q 2. 放射線と人間のかかわり合いは、いつごろからですか。

A 地球誕生の前から放射線は宇宙に存在しています。
   地球の誕生は46億年くらい前で、地球上に生命が発生したのが35 億年前といわれています。この地球の歴史を推測することも、今から述べる地球上にある放射性物質の半減期を調べることで可能になっています。地球も宇宙の一惑星にしかすぎませんので、初めに地球の「物質としての歴史」を考えてみる必要があります。つまり、星の誕生を考えないと地球の誕生や生命の発生などは考えられないほど、気の遠くなるような長い話なのです。
 宇宙の始まりとされるビッグバンにより、陽子や中性子など原子のもとができたと考えられています。次いで、最初の元素と考えられる水素をもとにして、「水素燃焼」や「ヘリウム燃焼」という核融合反応が次々と起こり、さらに超新星の爆発などが加わり様々な元素が生み出されていきました。このようにして、水素を出発点として現存するすべての元素が作られ、理科の教科書で習う元素周期表を形作っているのです。
 地球もこのようにして誕生したものですから、その内部には百種類以上の放射性物質が残っています。ですから、今でもウランやトリウムなどの放射性物質が採石されますし、気体としてもラドンやトリチウム、クリプトンなどが自然界に存在しています。もともと地球自身が放射性物質を内蔵しているということです。
各種食品中に含まれる放射性物質の量
 このような宇宙の歴史の中で誕生した命は、その段階の初期から星の爆発や太陽による宇宙線や地面から放射線を浴び続けていたはずです。それでも生命は進化を続けていますし、体の中にも天然の放射性物質を持ちながら普段の生活をしているのです。
 体の中にある天然の放射性物質は、食品をとおしてからだの中に入ってきますが、例えば野菜の中にはカリウム40という放射性物質が存在し、全カリウムの約0.01%を占めています。このことは私たちの体内にもカリウム40があることを示しており、実際ホールボディカウンターで測定すると、すべての人からこのカリウム40が検出されます。表には各食品に含まれる天然の放射性物質の量を示していますが、これらの量では人体への影響は全く心配する必要はありません。
 このように、人間はその生命の誕生前から太陽の光と同様、放射線を浴び続けているのです。微量の放射線が危険かどうかは、わからない部分が多いのですが、温泉好きの日本人は、特にラドン温泉など放射線と身近にかかわっていることも事実です。
Q 3. 放射能には「半減期」があるといいますが、「半減期」とは何ですか。

A 長いのは488 億年です。年代の推定にも応用可能です。
   原子爆弾が爆発した時には、たくさんの放射線が放出されました。原子爆弾によって放出された放射線には3つあります。
 第1に、爆発そのものから出る放射線です。爆発はプルトニウムあるいはウランの核分裂によって起こりますが、その核分裂によって放射線が出ます。これが原子爆弾の放射線の大半です。
 第2に、核分裂時に、たくさんの放射性同位元素ができます。放射性同位元素とは放射性核種ともいい、放射線を出す原子のことです。放射性同位元素は爆発後に降った灰や原子雲に含まれ、放射線を出します。
 第3は、第1の放射線のうちの中性子線が地上の土や岩石の原子に吸収されて、それらの原子を放射性同位元素に変えたものから出る放射線です。
 第2と第3の放射線は放射性物質から出てきます。放射性物質は不安定で、放射線を出して安定した原子になり、原子の名前も変わります。原子爆弾で発生する放射性物質の1つに「ヨウ素131」があります。原子の中心には原子核があり、原子核は陽子と中性子からできています。「131」は原子核に含まれる陽子と中性子を合わせた数で、質量数といっています。ヨウ素の陽子の数は53個です。自然界にある安定したヨウ素は「ヨウ素137」です。
 ヨウ素131はベータ線を出して安定した物質であるキセノンに変わります。出てくる放射線の量はヨウ素の量に比例し、放射線の量は時間とともに少なくなります。ヨウ素がキセノンに変わってヨウ素131の量が減るからです。
 8日たつと最初のヨウ素131の量が2分の1になるとともに、放射線の量も2分の1になります。さらに8日たつと、その2分の1、すなわち最初の量の4分の1になります。この半分になる時間、すなわち8日を半減期といいます。半減期ごとに量が2分の1になるので、数カ月もするとヨウ素131はほとんどなくなってしまいます。
放射能の減弱
 原子爆弾の材料となった「プルトニウム239」も放射性同位元素で、アルファ線を出して、ウランになります。その半減期は2万4千年です。このように半減期は放射性同位元素によって違います。
主な放射性同位元素の半減期
 このように、放射性物質に半減期があることを利用して年代を知ることができます。岩石に含まれる天然の放射性同位元素「ルビジウム87」は半減期が488億年で、ストロンチウムに変わります。岩石中のルビジウムとストロンチウムの比率は時とともに変わります。この比率を測れば岩石ができた年代が計算できます。この測定によって、グリーンランドの変成岩は38億年前にできたことがわかりました。このことから、地球の年齢は約46億年であろうとされています。
Q 4. 放射能はどのくらい怖いのでしょうか。いつも訳の分からない単位が出てきて、よく理解できないどころか、放射線の安全性についてだまされているような気がします。

A 温泉にも含まれ湯治につかわれています。一方で高い線量は人体に有害です。
  ラドン温泉をご存じでしょうか。鳥取県の三朝(みささ)温泉、兵庫の有馬温泉などが有名です。これらの温泉には放射性物質が含まれていますが、放射線が出ているから体に悪いかと言うと、そんなことはありません。逆に有馬温泉などは病気を治す湯治で有名です。
 実際、三朝温泉の住人とその他の地域の住人とでがんの発生率を比べた研究者がいますが、その結果は、三朝温泉の住人の方が特にがんになる頻度が高い、ということはありませんでした。少なくともある程度の量の放射線であれば健康影響を及ぼすことは考えにくい、ということがわかるのではないかと思います。
 放射能の量を表すのはベクレルと呼ばれる単位です。放射線はアルファ線、ベータ線、ガンマ線などがあり、同じ1ベクレルでも、それぞれ人体に対する影響力が異なります。そこで、その特徴を加味し、放射線を測る場合は人体に対する影響力を表す単位、シーベルトを使います(1シーベルトは1,000ミリシーベルト)。
 私たちは、年間どのくらいの放射線を自然に受けているのでしょう。地球上に住んでいる以上、平均すると年間2.4ミリシーベルト(日本平均でおおよそ1.5ミリシーベルト)の放射線を受けています。といっても、だれもこの自然放射線で害を受けてはいません。
自然射線の内訳
 一方、高い線量の放射線は確かに人体に害を与えます。500ミリシーベルトを超えると急性症状が出現することが知られています。また、100ミリシーベルト以上の被ばくでは発がんのリスクが明らかに増えることがわかっています。
放射線の1回照射量と身体影響
 原爆やチェルノブイリ原発事故などで、多くの方が放射線により被災しました。そのため、私たちにとって、放射線は恐ろしいものといったイメージがあります。しかし、案外その実態について、私たちは知らないのではないでしょうか?
 大切なことは寺田寅彦の言葉にもあるように「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることがむずかしい」ということです。「正しく怖がる」ために、まず正確な知識を得て、どのように対処すれば安全なのかを知ることが重要です。
Q 5. 原爆と原子炉はどう違うのですか。

A 兵器とエネルギー源の違いは、ウラン濃縮度の差異によります。
   原爆も原子炉もともにウランやプルトニウムが燃料として使用されています。原爆は兵器であり原子炉はエネルギーを確保するための設備です。そのため、両者は燃料の濃縮度とそこから発散されるエネルギーのコントロールの方法が違います。
 燃料となるウランですが、天然ウランの99.3%はウラン238という核分裂しない物質であり、0.7%が核分裂を起こすウラン235です。核分裂は図のように、ウラン235またはプルトニウム原子に中性子という物質が入り、原子核が分裂します。この反応と同時に2~3個の中性子が飛び出し、さらに次の原子核に入り核分裂を起こして行きます。ネズミ算式に反応が進んで行くわけです。これを核分裂の「連鎖反応」といい、その時にエネルギーが発生します。原爆と原子炉では同じ反応を利用しています。

核分裂の連鎖反応核分裂の連鎖反応

 とはいえ、原爆では一瞬に多量のエネルギーを放出させる必要があり、ウラン235を100%近くに濃縮した燃料を使用します。一方、原子炉では適量のエネルギーが放出できるようにウラン235を3%程度に濃縮しています。このエネルギーをコントロールするための原爆と原子炉の構造の違いについてみてみましょう。
 まず原爆は、核分裂を一気に起こすために100%近くに濃縮したウラン235または純粋なプルトニウムを使います。核分裂をおこす原子ができるだけ濃密に並んでいた方が中性子が当たりやすく、連鎖反応を起こしやすくなるわけです。そして10万分の1秒という短い時間に、爆弾の中に入れてあるすべてのウランやプルトニウムが核分裂を起こすよう工夫してあります。その結果、ばく大なエネルギーが一瞬のうちに放出されます。
 また、このように核爆発を起こさせるには、ある量以上のウランまたはプルトニウムが必要です。これを「臨界量」といい、ウランでは23キロ、プルトニウムでは6キロです。これだけの量がまとまって、初めて全部の原子核が核分裂の連鎖反応を起こし、ばく大なエネルギーが放出されます。
 実際に広島の原爆ではウランを、長崎の原爆ではプルトニウムを2、3個の固まりに分け、それぞれを臨界量以下にして原爆を組み立てました。そうしないと作製した段階で爆発が起こってしまうからです。外側を火薬で囲み爆発させることでウランまたはプルトニウムの固まりが一気に一か所に集まるようにしました。そして臨界量を超えたウランやプルトニウムが核爆発を起こすようにしたわけです。
 一方、原子炉ではあまり核分裂反応が進みすぎないように3~4%程度の低濃縮ウランを用います。また、原子炉内は核分裂により出てきた中性子を減速するために水で満たされており、さらにウラン燃料の間には、反応をコントロールするために中性子を吸収する「制御棒」を使います。原子炉には水やホウ素、カドミウムなどを原料とした制御棒が複数本あり反応が起きている際に出し入れして、必要なだけの核分裂がゆっくりと起きるように調整します。つまり同じウランやプルトニウムを使うといっても、原子炉と原爆は核分裂によって生じるエネルギー生産の規模や制御の方法が異なるのです。
Q 6. 原爆の威力を教えてください。

A 核分裂で破壊力が増大し、放射線を多量に放出します。
   1945年3月10日、334機の米軍のB29爆撃機が東京上空に飛来しました。東京大空襲です。東京の下町は焦土に一変し、約10万人が死にました。爆弾は油性ガソリンの入った焼夷(しょうい)弾だったので、爆発だけでなく、火災による死者が多数出ました。
 長崎原爆は6.2キログラムのプルトニウムを装備した重さ4.5トンのものでした。B29爆撃機「ボックス・カー」が投下しました。実際に核分裂をしたプルトニウムは10%の約1キログラム。原爆による死者は7万人以上でした。原爆と通常爆弾はどこが違うのでしょう。
 核実験の規模を表す言葉に「キロトン」という単位があります。これは爆薬を用いた代表的な通常爆弾に使われるTNT(トリニトロトルエン)爆薬1キロトンの爆発で放出されるのと等しいエネルギーを表します。
 東京大空襲で投下された爆弾は約8 千個で、計約2キロトンでした。一方、長崎原爆の威力を爆風や熱線の強さから計算すると、21キロトンと推定されます。原爆1発の威力は通常爆弾より、はるかに大きいのです。どうしてでしょう。
 一言で言うと、通常爆弾が化学反応を利用しているのに対し、原爆は核反応であるということです。
 爆弾は爆薬を発火させて爆発させます。爆薬は短時間に燃焼し、多量の熱とガスを発生させます。ガスは熱によって急激に膨張します。熱は火災ややけどを起こし、ガスの膨張は建物を破壊します。爆薬の燃焼によって得られるエネルギーは化学エネルギーです。
TNT爆薬を使った通常爆弾のしくみ
 一方、原爆はウランあるいはプルトニウムの原子核に中性子を衝突させ、2個に割れるときに生じるエネルギーを破壊力として使います。原爆に使うウラン235の原子核は92個の陽子と143個の中性子が結合して一つの塊となっています。プルトニウム239 の原子核は94個の陽子と145個の中性子が結合しています。原子力エネルギーはこれらの陽子と中性子の結合エネルギーとして考えられています。中性子が原子核を2つに割ることを核分裂といいます。このときの結合エネルギーが原子力エネルギ-になるのです。
原爆のしくみ
 原子力エネルギーは高温の熱と熱線を出します。熱線とは赤外線を含む光線です。物質を通して伝わる熱は周りの空気を膨張させ、爆風を起こします。この点では爆薬も原爆も同じですが、ウランの核分裂から出る原子力エネルギーは同じ重さの爆薬の化学エネルギーの約100万倍あります。これが東京大空襲と長崎原爆の違いの一つです。もう一つ違うのは、原爆は放射線と放射性物質を多量に放出する点です。原爆のエネルギーは熱線が35%、爆風が50%、放射線が15%の割合で放出されました。
 52年11月には、アメリカが世界で初めて水爆実験に成功しました。水爆は2個の水素原子(重水素)を核融合させてヘリウム原子に変える時、発生する原子力エネルギーを使うものです。1個のヘリウム原子の重さは2個の水素原子より軽く、核融合によって減った重さがエネルギーに変わるのです。原子は簡単には変えることができませんが、水素原子の核融合は、原爆によって非常に高温の状態をつくると起こせるのです。水爆は原爆が起爆剤になっているわけです。
 水爆は原爆の100~1000倍の威力です。水爆の強さを示す単位には通常、キロトンの1000倍のメガトンが使われます。科学の進歩によって、より殺傷能力の高い爆弾が生まれていることも事実なのです。
Q 7. 長崎原爆はプルトニウム爆弾だったそうです。プルトニウムは毒性が強い物質であると聞いています。プルトニウムの毒性とはどのようなものでしょうか。

A プルトニウムの毒性問題は、主に放射線障害です。
   広島と長崎に原爆が投下されました。なぜ二発の原爆が、しかも時を同じくして投下されたのでしょうか。日本大使を務めたことのあるアメリカの親日家故ライシャワー氏は「広島に落とされた一発目の原爆は必要であったとの議論も成り立つが、長崎に投下された二発目の原爆は絶対に正当化されない」と言っています。
 広島原爆はウラン爆弾であったのに対し、長崎原爆はプルトニウム爆弾でした。しかも、構造も違っていました。二発目の原爆が投下された理由として、広島と長崎の原爆の種類が違うので、両方の効果を知りたいためだったとの考えがあります。
原爆の構造
 爆発した原爆は原子雲を作りました。原子雲は西風に吹かれ、金比羅山を超え、西山を中心に黒い雨を降らしました。原爆には約6.2キログラムのプルトニウムが入っていました。核爆発に有効だったのは約10%でしたが、残りの90%は原子雲に乗り、黒い雨に混じって降り注ぎました。
 長崎に降り注いだプルトニウムは、その後の雨に流されたり、農耕地や道路工事、建築のために土を掘り起こしたりして、現在はほとんど見つかりません。爆心地近くにもプルトニウムが灰と一緒に降り注いだかもしれませんが、今のように都市化されると調べようがありません。
 プルトニウムは人体に危険ではないかとの心配があります。プルトニウムは水銀やカドミウムと同じ重金属で、体内に入ると腎臓障害を与えるという化学的毒性があります。また、プルトニウムが出す放射線による「放射線障害」があります。化学毒性はウランとほぼ同じと考えられます。
 プルトニウムから出る放射線はアルファ線です。アルファ線の透過力は非常に弱く、空気で吸収されてしまいます。プルトニウムが皮膚に触れても、アルファ線は皮膚の中には入ってきません。また、プルトニウムが口から食べ物と一緒に入っても、消化管からの吸収率は0.1%以下で体内にはほとんど吸収されません。その一方、空気と一緒に肺に吸収されたときには問題で、犬を用いた実験では、一定量以上のプルトニウムを口から吸入させると肺繊維症や肺がんを作ったという報告があります。
 しかし、原爆直後の爆心地や西山地区に降り注いだプルトニウムの量は少ないので、放射線障害を心配する必要は全くありません。
 では、もし原子力発電所などの事故によって大量のプルトニウムが体内に摂取されたときに対策はあるのでしょうか。その時には、キレート剤という薬を注射して、プルトニウムを体内から尿中に排泄(はいせつ)させるのです。
Q 8. 体内に取り込まれた放射線の量を測定するには、どのような方法がありますか。

A ホールボディカウンターを用いて測ります。
   食物には、ごく微量の放射性物質が入っています。例えば、放射性カリウムは海藻類、野菜、お茶など多くの食品に含まれています。そのため私たちは、日常の生活で常に放射性物質を体内に取り込んでいることになります。そうした体内に含まれる放射性物質から出される放射線を測定するために「ホールボディカウンター」という装置を使用します。
 「ホールボディカウンター」では、被験者は約20分間、仰向けに寝てもらい、体から一定の距離に設置した放射線検出器(ヨウ化ナトリウム・シンチレータ)を用いて体内から放出される放射線の量を測定します。この装置により、内部被ばく線量だけでなく、物質によって放射線の波長が違うことを利用して放射性物質の種類を知ることができます。ただし、すべての放射性物質についてわかるわけではなく、透過力の大きいガンマ線を出す物質だけが測定対象になります。
 ごく微量の放射線を測定するためには、外界からの放射線の影響を最小限に抑えなくてはなりません。というのも、自然界には放射性物質が約1900種存在し、宇宙から降り注いだり地表に存在する放射性物質からの自然放射線の影響が常にあるからです。
 長崎大学のホールボディカウンターは厚さ20センチの鉄壁で囲まれた部屋でできており、外からの放射線の影響を遮断するような構造になっています。
体内の放射線量を測定する ホールボディカウンター
体内の放射線量を測定するホールボディカウンター
(長崎大学医学部で)

 長崎大学のホールボディカウンターの鉄壁は、特別な鉄材が用いられています。ホールボディカウンターを製作した第二次世界大戦後(1960年代)の鉄材には、微量ながら放射性コバルトが含まれていました。鉄材の摩耗度を放射線を利用して調べるために製鉄所で鉄の中にわざと混入させていたわけです。しかし、鉄材中の放射性コバルトは、微量な放射性物質を測定するホールボディカウンターにとっては邪魔なものでした。
 ところが、第2次世界大戦前の鉄材の中には、この放射性コバルトが混入していないことがわかっていました。そこで、戦前に作られた鉄材を使用し、微量な放射性物質を測定する装置の遮へい材料として使ったわけです。
 長崎大学では現在、チェルノブイリ周辺のウクライナ、ベラルーシ共和国、ロシア連邦から医師・専門家が長崎に来た際にホールボディカウンターによる測定を行っているほか、福島県の復興支援にあたっている長崎県、長崎市、長崎大学のスタッフを対象とした測定も行っています。
体内の放射性物質とその計測結果
 グラフは、チェルノブイリ周辺国から来られた方の測定結果ですが、原発事故後に放出された放射性セシウムの部位の測定値が高く、ピークを形成しており、体内に取り込まれていることがわかります。その一方、チェルノブイリ周辺住民を対象とした調査では、放射性セシウムによる内部被ばく線量はほとんどの方で1年間あたり0.1ミリシーベルトよりも低い値であることがわかっています。
Q 9. 25歳で妊娠8か月です。妊娠3か月の時、おう吐と食欲不振のため病院で受診し、腹部のレントゲン撮影を受けました。今の状態のまま出産しても子供は大丈夫でしょうか。

A 今回の撮影だけで、胎児への影響を過剰に心配する必要は全くありません。出産しても大丈夫です。
   国際放射線防護委員会(ICRP)は、放射線から身を守るための様々な勧告を出している国際組織ですが、このICRPが出している勧告の中に、以下のような文章があります。

 放射線被ばくによる妊娠中絶は、多くの要因に影響される個人の意思決定である。胚/ 胎児への100ミリグレイ未満の吸収線量は、妊娠中絶の理由と考えるべきではない。

 ここでいう「ミリグレイ」というのは、放射線の単位のひとつですが、エックス線の場合はグレイとシーベルトは等しいと考えて構いませんので、ここでは「100ミリシーベルト」と同等です。
妊婦へのレントゲン撮影における 胎児推定被ばく線量
 さて、広島・長崎の原爆の際、お母さんのおなかの中にいた人たち、つまり胎内被爆者の方では、知能指数の低下、高線量被爆者における知的障害の頻度増加、成長・発育の低下などが報告されています。これらの影響の多くは、妊娠週数が8-15週の間に被爆した人に顕著に認められています。これは、この時期の胎児が、放射線に対する感受性が高いためであると考えられます。しかし、実際にこのような影響がみられるのは、非常に高い線量を被ばくした場合に限り、100ミリシーベルトを下回るようなケースでは観察されません。上記のICPRの勧告はこのような知見に基づいて行われています。

 お尋ねのような、腹部のレントゲン撮影をした場合、実際におなかの中の赤ちゃんが被ばくする線量は0.2ミリシーベルト程度で、1ミリシーベルトをもずっと下回る線量であると予想できますので、少なくとも今回の撮影だけで、胎児への影響を過剰に心配する必要は全くないと考えられます。おなかの赤ちゃんにとって、お母さんのストレスは、かえって悪い影響を与えることもありますので、リラックスして出産に臨まれてください。

 一方で、妊娠している、あるいは妊娠している可能性がある方が、不用意に放射線検査を受けるのは避けたほうがよいでしょうから、医療機関を受診したり、健診を受ける際に、X線検査などを受ける場合には、医師や看護師にその旨を伝えたうえで、検査を行うべきかどうかをよく相談するとよいでしょう。
Q 10. 「放射線を浴びると、染色体に異常を来し、子孫に悪い影響を及ぼす」と言われています。事実としたら、そのメカニズムを教えてください。

A 被爆による遺伝的影響は現在までのところ証明されていません。
   生命に関するすべての情報は遺伝子に書かれています。遺伝子の本体は、DNA(デオキシリボ核酸)です。DNAがコンパクトに集まったものが染色体です。人(ヒト)の細胞は46本の染色体を持っています。
 放射性物質(放射能)から出る放射線を大量に浴びますと、遺伝子が切れるなどの傷ができます。切れた遺伝子は、大半はなおされますが、他の遺伝子に結合することもあります。遺伝子は非常に小さいため、このような遺伝子の異常を直接見ることはできませんが、特殊な手法を用いて顕微鏡などで観察することができます。
 最近、遺伝子の切断を超高感度で検出することができるようになりましたが、その結果、多くの場合、遺伝子に異常があったり、染色体異常を持った細胞は死んで体からのぞかれることがわかりました。
 その一方で、もし精子あるいは卵子のいずれかに放射線被ばくによる遺伝子の異常が生じ、それらが受精して子供が生まれれば、被ばくが次世代に遺伝することになります。放射線が遺伝的な影響をもたらすとすれば、精子または卵子が被ばくして傷がつくことが条件で、例えば皮膚の細胞が被ばくしたとしてもそれが次の世代に遺伝することはありません。
 ところで、長崎、広島の被爆者の子供(被爆二世)を対象とした調査では、これまでのところがんやその他の疾患の増加は観察されていません。原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告でも、放射線の遺伝的影響については、子孫に伝えられる染色体異常の割合は変わらない、とされています。
 マウスなどの動物では遺伝子の変化による放射線の経世代的な影響が報告されていますが、ヒトでは報告されていません。なぜ動物で放射線の遺伝的な影響が見られて、ヒトでは見られないかについては、現在の科学知識では十分に証明されていません。
 もし、仮説として説明できるとしたら、動物は多産系ですから胎児に異常があっても出産しますが、ヒトの場合は大半が1人しか出産しませんので、完全な子供を産むようになっているのでしょう。もし、人の胎児に異常があれば自然流産などによって、子孫として残さないのではないかと思います。その証拠として、自然流産した胎児の細胞を調べると、多くの染色体異常が見られます。
 いずれにせよ、被爆二世の方に本当に被ばくの影響がないかについては、今後も引き続き慎重に調査を継続する必要があります。
Q 11. どうして放射線でがんが発生するのですか。

A 放射線に被ばくすると遺伝子に変異が起こり、それが原因で細胞が無秩序に増加する(つまりがん細胞になる)確率が高くなるとされています。
   「放射線」という言葉を聞いて連想する病気は何でしょうか。多くの人がまず思い浮かべるのは「がん」だと思います。そのうち、ある人は「放射線はがんを起こす怖いもの」と考えるでしょうし、別の人は「がんを診断・治療する時の力強い味方」と考えるかもしれません。
 どちらの考え方も間違いではありません。放射線はがんを発生させますが、医療面では逆にがんの診断や治療に役立つという両方の側面を持っています。身体のためになる薬でも、多量に服用すると身体に悪いのに似ています。
 私たちが健康診断などで受ける胸部レントゲンや胃腸透視は放射線(X 線)が物を透過する性質を利用したものです。例えば胸部レントゲン写真を一回とると、0.05から0.1ミリシーベルト程度の被ばく(外部被ばく)をします。日本において私たちが日常生活で受けている自然放射線が年間約1.5ミリシーベルトですから、これらの検査がどのくらいの線量であるか、御理解いただけると思います。
 それでは、胸部レントゲン写真をとると、がんが発症するのでしょうか。答えは「ノー」です。これまでのところ、レントゲン検査によりがんの発症が明らかに増加したという科学的な報告はありません。
 しかし、より高い線量の被ばくによってがんが増えるのも事実です。長崎・広島の被爆者を対象にした調査から、被ばくした放射線の量が高かった人に白血病や甲状腺がん、乳がん、肺がん、胃がん、皮膚がんや大腸がんなどが発症するリスクが高まることがわかっています。これまでの研究では、100ミリシーベルト以上を一度に被ばくした被爆者では、がんのリスクが明らかに高まることが報告されていますが、それ以下の線量の被ばくについては、がんのリスクの増加があるかどうかは明らかではありません。
 もっと高い線量、例えば7,000ミリシーベルトといった高い放射線を一度に被ばくすると、現代の医療では救命することが困難です。一方で、この高線量の放射線が細胞を死滅させるという点を利用して、いわゆるがんの放射線治療が行われています。ただし、正常な組織が傷つかないようにするために、放射線がまっすぐ進む特徴を生かし、がん細胞だけに放射線が当たるようにします。がん治療には、数万ミリシーベルト(数十シーベルト)という非常に高い線量の放射線が用いられます。
 それでは放射線によりどのようにしてがんができるのでしょうか。放射線ががんを引き起こす仕組みを多くの科学者たちが研究しています。まだ不明な部分が多いのですが、いくつか分かってきたことがあります。
 ごく簡単に説明すると、身体を構成している細胞には遺伝子(DNA)があり、生命を維持するのに必要なさまざまな物質をつくる鋳型として働いています。放射線が当たった細胞ではこのDNA に傷がつきます。正常な細胞ではDNAの傷をすぐ修復しますが、傷の数がとても多い時には、ごくまれに間違って修理されることがあります。間違って修復された部分が、細胞が増えるために重要な所だった場合、細胞は無秩序に増え始めてしまいます。これが「がん化」です。
 放射線以外にも化学物質や紫外線など、がんを誘発する原因として知られているものがありますが、いずれも同じような原因で起こっていると考えられます。また実際には自然に起こる大半のがんも、遺伝子の傷が原因で起こると考えられますので、放射線で起こるがんを調べることは、自然に発症するいろんながんのモデルとして治療や予防に役立つ可能性があり、将来のがん撲滅への大きな手がかりが得られると期待されています。
Q 12. 原爆被災者の被ばく放射線について教えて下さい。

A 100ミリシーベルト以下の被ばくについては、現在までのところ、がんになるリスクが増加することは証明されていません。
   法的な意味での被爆者とは、原爆被災者で被爆者健康手帳を交付されている人です。被爆者は被災しただけでなく、放射線被ばくをしています。特に原爆による放射線を受けて晩期に起こる障害は被ばくから数十年たって発生するので、被爆者にとって心配の種になっています。晩発性障害は被ばくした放射線量と関係があり、線量が高くなるほど障害の発生する確率が高くなります。
 原爆による放射線は3つに分けられます。爆発中心から発生した一次放射線、爆発後に生じた放射能をもった灰などの放射性降下物(フォールアウト)から発する放射線、そして一次放射線が地表の土や石に吸収された放射能から発する残留放射能です。原爆放射線の大半は一次放射線であり、他の放射線は全体の10分の1以下です。
 また、原爆による放射線はガンマ線と中性子線の二種類の放射線が含まれていますが、その大半はガンマ線であり、中性子線は全体の約10分の1です。
 放射線は見ることもできませんし、音もしませんが、測ることができる、という特徴があります。しかし、原爆が投下されたときには、測定器が準備してあったわけではなく、一次放射線は爆発後、すぐ消えてしまったので、当然測定することはできませんでした。
 そこで、理論的な計算が3つのことを考えてなされました。最初に原子核分裂をしたウランやプルトニウムの量を考えに入れます。次に原爆の構造を考えます。最後に爆発中心から放射線が地表に到達するまでの経路を考えます。爆心から遠く離れるほど被ばく線量は減ります。
長崎原爆の放射線量
 原爆が落とされて60年以上がたった今でも、原爆放射線による変化は残っています。放射線の線量は、被ばくしたれんがや瓦から推定することができます。れんがや瓦を暗室の中で数百度に熱すると、蛍光を発します。この蛍光量は被ばく放射線量に比例するので、蛍光量を測れば被ばくした放射線量を推定することができるのです。また、被ばくした岩石からも分かります。岩石は微量の放射能を持っています。この放射能は一次放射線が吸収されてできたものです。
 また、被爆者の体内にも残っています。一つは被爆者の歯です。被ばくした歯を二つの強い磁石の間に置くと、弱い電気信号が出ます。電子スピン共鳴(ESR)信号です。信号の強さは被ばく放射線量に比例します。被爆者の歯のESR信号を測れば分かります。
 もう一つは血液細胞です。被爆者から採血し、リンパ球の染色体を調べます。ヒトはどの細胞も23組の染色体を持っていますが、被ばくすると細胞の中の染色体が切れたり、切れた染色体が他の染色体とつながったりします。染色体異常です。リンパ球の染色体異常の数は被ばく放射線量に比例するので、線量が分かるのです。
近距離被爆者のリンパ球に見られた染色体異常
近距離被爆者のリンパ球に見られた染色体異常(矢印)。
2 個の染色体が結合している。
 被ばくしたれんがや瓦などの試料を用いて実際測定した被ばく放射線量と、計算した原爆放射線量はほぼ一致していました。したがって、この計算方法は正しいと言えます。この計算方法をDS86といいます。これは1986年に決められた原爆放射線量の推定方法という意味です。現在は、これをさらに改定し2002年に発表されたDS02という計算方法が使用されています。
 では、どれだけの放射線を被ばくしたら人体に影響が出るのでしょう。原爆被爆者の長年の追跡調査の結果では、100ミリシーベルトを超える被ばくにより、被ばく線量に比例してがんになるリスクが高まるとされています。これをもとに、100ミリシーベルト被ばくするとがんで死亡するリスクが0.5%高まると推定されていますが、それ以下の被ばくについては、現在までのところ、がんになるリスクが増加するかどうか明らかになっていません。
Q 13. 白血病と原爆の関係を教えてください。

A 被ばく量や被爆年齢の違いで、発生頻度に影響がでます。
   「長崎の鐘」などの著書で有名な永井隆博士は、被爆当時の原子野で、浦上を中心に如己堂という小さな住まいで床に伏せながら、平和希求の鐘を鳴らし続けました。晩年の永井博士は、崇高なカトリック精神の人として知られていますが、旧制長崎医科大学物理的療法科(今の長崎大学放射線科)時代、原爆被災前に自分自身を白血病と診断し、その上で診療業務に従事していたという別の顔もあります。
 60年以上前の戦時中のころは、物資が乏しくX線の取り扱いも粗雑で、術者の直接被ばくなしでは、X 線診断をすることができませんでした。永井博士も例外ではありません。その上、永井博士は爆心地から700mの医科大学附属病院の診察室で、爆風とともに大量の放射線を浴びました。
 1945年8月9日11時2分の被爆直後から、その年の10月までの混乱の中で行った永井博士らの救護活動は「原子爆弾救護報告書」として学長へ上申され、調来助教授の「長崎医科大学原爆被災復興日誌」とともに貴重な長崎原爆の記録として残されています。現在では、これらの報告書は英語訳され、世界における被ばく医療の貴重な資料となっています。
 さて、なぜ放射線被ばくでは白血病が増えるのでしょうか。一つには、分裂増殖と新陳代謝の盛んな細胞ほど遺伝子に傷がつきやすく、放射線感受性が高いことに起因しています。例えば骨髄細胞などがそうです。白血病は、ある一定の潜伏期を経て、傷ついた血液細胞が異常に増えてがんとなり、ある確率で発病するのです。
 特に、原爆被爆者の中でも急性放射線障害で亡くなられた方は、脱毛や歯茎からの出血、皮下出血などの血液障害が見られました。また、生存された被爆者の方々の中でも、被爆して数年後から白血病の増加が見られました。
 永井博士は自分の血液像を顕微鏡で観察し、闘病生活を送りました。ペンを執り、短期間に数多くの出版物を世の中に著し、51年5月1日に帰天されました。原爆被爆者の中に、白血病の患者が増加していったのはちょうどこのころです。
 原爆による白血病の特徴は(1) 放射線被ばく量が高い人ほど、(2) 被爆時年齢が若い人ほど、白血病の発生頻度が高いことで、この傾向は長崎よりも広島に強く現れました。
 その後も被爆後10年後頃から甲状腺がんが、被爆後20年後頃から乳がんや肺がんが、被爆後30年後頃からは胃がんや結腸がんが被爆者で増加したことが証明されています。さらに最近では、血液腫瘍の一つである骨髄異形成症候群が、被ばくから40~60年を経て増加していることが示されました。
Q 14. 原爆放射線は動物や植物にも影響を与えましたか。

A 全生物の細胞に影響し、がんや遺伝的影響もあります。
   原爆のエネルギーは熱線、爆風と放射線です。熱線と爆風が動物に与えた影響は火傷(やけど)と外傷で、植物の場合は燃焼と破壊でした。原爆被害が通常爆弾と特に異なる点は、放射線によるものでした。
 放射線が動植物に与えた影響を、人の場合から考えてみましょう。被爆直後から数カ月で起きた障害を「急性障害」と呼びます。被爆者は放射線火傷、脱毛、下痢などの急性放射線障害に苦しみました。
 多くの臓器の細胞は、分裂して新しい細胞が生まれる一方で古い細胞が死んで新陳代謝を繰り返しています。皮膚では基底細胞が、毛根では毛母細胞が、腸では腺か(せんか)細胞が、骨髄では骨髄細胞が盛んに細胞分裂します。細胞分裂が健康な皮膚や毛髪、腸、血球を保っているのです。一方、血管、肺、肝臓の細胞のようにゆっくり細胞分裂しているものや、神経細胞のように分裂しないものもあります。
 細胞に放射線が当たると、細胞分裂が盛んな細胞ほど死にやすく、臓器に被ばくの影響が現れます。逆に細胞分裂していない細胞は死なず、影響が現れにくいのです。急性放射線症は、放射線で細胞が死んでしまうために、現れるのです。
 犬、猫、ネズミ、馬、牛などは人と同じほ乳類動物なので、原爆放射線の影響は人の場合と同じだったと考えられます。植物は生命維持機能が動物ほど複雑でなく、早期の影響として枯れることがあっても、動物のような多様な障害はなかったと考えてよいでしょう。
 被爆後1年以上たって起きた障害を「晩発性障害(後障害)」と呼びます。この障害には、発がんと遺伝的な影響があります。
 通常、人は新陳代謝がバランスよく行われており、臓器の大きさは一定で、変化がないように見えます。この均衡が崩れた状態ががんです。放射線を受けた増殖細胞のうちの1個の細胞が変異し、異常に速く分裂を繰り返すとともに、古い細胞が除かれず、異常細胞が増殖するのです。白血病は、変異した骨髄細胞がつくる異常な白血球が血液中に増える「血液のがん」です。
 放射線を受けた動物も、人のがん発生のメカニズムから、がんになった可能性があります。しかし、動物の場合は被爆者と違って被ばく線量のデータや、研究対象になったサンプル数が少なく、発生したがんが自然によるものか、放射線によるものか決めるのが大変難しいのです。植物にもがんがあると言われており、がんが発生したと考えられます。
 もう一つの晩発性障害である遺伝的影響とは、被ばくした親の生殖細胞の精子や卵細胞の遺伝子が変異し、次の世代に異常が現れることです。これまでの調査、研究結果では、ヒトにおける遺伝的影響は科学的に証明されていません。しかし、マウスやショウジョウバエなどに対する放射線照射の実験などによって経世代的影響があることがわかっており、原爆の放射線によって経世代的影響を受けた動物もいた可能性があります。
 植物の場合は、被爆水田の米から育った稲の細胞に染色体異常が見られたり、被爆地に生えたサトイモやエビスグサに斑点(はんてん)を持つ突然変異体が見つかっており、原爆の放射線による遺伝的影響が明らかになっています。
ショウジョウバエの放射線による異常
Q 15. 原爆の精神的影響について教えてください。

A 強烈な体験で心に傷を残し、いまだにいえぬ人もいます。
  *被爆50周年までにわかったこと
 原子爆弾の精神的影響については現在もほとんど解明されていませんが、米国エール大学の精神医学教授リフトン博士は原爆投下の17年後の1962年、広島を訪れ、被爆者と面接しました。その結果、次のような傾向が見られたと報告しています。
 罪の意識としゅう恥心;助けを求める人や肉親を救うことが出来ず、自分だけが生き残ったことに対する罪の意識やしゅう恥心が強くあり、これは長い期間続いていました。そして、しばらく心の扉を閉ざすことで身を守ろうとしました。
 同一性(同一視);生き残った人たちが原爆症で死んでいくのを見て、いずれ自分にも同じことが起こるのではないかと思っていました。自分と周りの人を同一視してしまう傾向をこう呼びました。
 憂うつ症や恐怖症;原爆投下直後に現れた急性放射線症は被爆者に深刻な恐怖を与えました。急性放射線症とは外見上はたいした傷もないのに、数日後または数週間後に生ずる発熱や下痢、皮膚の出血斑(はん)、髪の脱毛などの症状です。さらに、その後、死亡していく者もありました。被爆者たちは「紫の斑点が出たら死ぬ」と言っていました。また原爆投下後の5年を境に白血病が増えて来ました。被爆者は病気と死の影におびえ、憂うつ症や恐怖症という形で精神異常の原因になりました。
 精神まひ;服が裂けてちぎれ落ち、皮膚がぼろぎれのようにはがれ落ちている光景は地獄のイメージでした。人はこのような強烈な経験を受け入れるのは困難で、受け入れるのをやめてしまいました。つまり、何も感じなくなったのです。死体の処理作業で何も感じなくなってしまったのも一時的な精神まひです。
 被爆後、年を経るとともに、被爆前のことをよみがえらせてくれる昔の知り合いとの再会や被爆者同士が体験談を話し合うことで、人間関係は徐々に再構築されていきました。そして自分の被爆体験や原爆の悲惨さを訴え、平和のために活動する被爆者も現れました。しかし、半世紀たって健康に対する不安や心の傷を持つ人もたくさんいます。

作/高柴 暖枝 所蔵/広島平和記念資料館
* 被爆50周年以降の調査からわかったこと
 被爆後、50周年が経過しても今なお明らかにされない原爆被災の精神的影響について調査が開始されました。調査結果によると、爆心地に近い所で被爆した人ほど精神的に不安定な傾向が見られています。その原因を探るために1997年に調査が実施されました。被爆距離が近い人ほど家屋の被害が大きく、家族の死や急性症状なども多いことがわかりました。これらの被爆体験と精神的健康度との関連が強いこともわかりました。

*被爆体験者の調査から
 1999年、長崎では未指定地域(被爆地域と指定されてない地域)在住者の証言調査および精神的な健康状態調査を実施しました。証言調査および精神科医の面接調査から、この地域には原子爆弾体験による心的外傷を受けた住民が少なからず存在していたという結論にいたりました。これがきっかけとなり、厚生労働省の研究班が対象者を増やして類似の調査を2001年に実施しました。原爆を体験した群と体験しなかった群の健康状況を比較した結果、当該地域住民の体験群では原爆体験がトラウマとなり今も不安が続き、精神上の健康に悪影響を与えている可能性が示されました。この調査結果にもとづき、当該地域住民を対象に2002年4月から健康診断が実施されるようになりました。この中で被爆に関連した精神不安による健康影響がある場合には、医療が給付されるようになりました。
Q 16. 被爆者の健康管理はどのように行われていますか。

A 年に2回の無料健診がおこなわれ、健診データは電算化されています。
   長崎県内在住の被爆者は約6万人。そのうち、約7割の4万人が長崎市に住んでいます。被爆から67年たち、被爆者の高齢化が進んでいます。長崎大学原爆後障害医療研究所で管理している長崎市の被爆者に関するデータによると、70~79歳の被爆者が多いことが分かります( グラフ下)。平均年令は76.8歳です。
長崎市の被爆者
 この高齢化した被爆者の健康管理はどうなっているのでしょう。被爆者医療の基本は、被爆者健康手帳です。1957年にできた「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律( 原爆医療法)」〔現在は「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」〕に基づいて、被爆者は被爆者健康手帳を交付されます。被爆者健康手帳を持っていると、健康診断を年2回無料で受診でき、指定された疾病の医療が無料で受けられます。健康診断には、毎年春と秋の2回、定期的に実施される一般検査と、精密検査があります。88年10月からは、がん検診も始まりました。
 では、どのくらいの人が健康診断を受けているのでしょう。グラフ左には65年から現在までの被爆者数と健康診断受診者数の推移を示しています。

被爆者数と受診数
 現在の受診者数はほぼ2万人で、被爆者の5割が健康診断を受けています。3年ごとに山ができているのは被爆者手帳の更新のためです。ふだんあまり受診していない人も、3年に1 度の手帳更新時には受けていることが分かります。2000年からは被爆者手帳更新の制度がなくなり、なだらかなカーブになっています。健康診断は、同市茂里町のもりまちハートセンター内の被爆者健康管理センターを始め、一般病院などで行われています。行政や医療機関では、検診を多くの人が受けられるように工夫しています。
 長崎市では、春と夏に健康診断の通知が被爆者あてに出され、仕事で平日は不都合な人のために、日曜検診があります。また、検診所が遠くて出かけにくい人には近くまで検診車が回ります。
 また、原爆後障害医療研究施設では、被爆者の健康管理をより効果的に行うために、300万件を超える健康診断の結果をコンピューターに記録しています。健康診断の際、お医者さんが被爆者手帳番号を入力すると、過去の結果がコンピューターのディスプレイに表示されます。お医者さんと被爆者の方が一緒に検査値を見て、健康状態を確認できるようになっています。
 健康診断を定期的に受けていると、身体の異常を早く治療することができます。健康診断をまじめに受けた人と受けない人の寿命を比べたところ、年に1回以上受診した人の方が、全く受診しない人よりも生存率が1~2割高いことが分かっています。
 行政、医療、研究機関が一体になった健康診断によって、被爆者の健康は守られているのです。
Q 17. チェルノブイリ原発事故後、子供の甲状腺がんが増えたそうですが、どうしてですか?

A 事故当時小児だった世代における甲状腺が多発しました。今後も注意深いフォローアップが必要です。
   1986年4月26日未明、人類史上最悪の原発事故がウクライナのチェルノブイリで起きてから、25年以上になります。
 チェルノブイリ周辺の土壌汚染地図によると、隣国のベラルーシ共和国ではゴメリ州が最も汚染が高かったことがわかっています。
チェルノブイリ原発事故の放射能汚染チェルノブイリ原発事故の放射能汚染
 長崎大学では、ゴメリ州の医療機関と共同で行ったゴメリ州に住む事故当時0-10歳だった住民約10,000名と、事故後に生まれた住民約10,000名の甲状腺を、超音波装置(エコー)を用いて調査し、甲状腺がんの頻度を比較しました。すると、事故当時0-10歳だった住民では10,000名中約30名に甲状腺が見つかったのに対し、事故後に生まれた住民では1例も甲状腺がんは見つかりませんでした。このことは、甲状腺がんの原因が、事故直後には存在したが、その後時間と共に消失してしまったものである、ということを示唆しています。チェルノブイリ原発事故によって環境中に放出された放射性物質のうち、最も多かったのは放射性ヨウ素で、次いで放射性セシウムが多かったことが分かっています。放射性ヨウ素のうち、最も問題となるヨウ素131の半減期は約8日、それに対して放射性セシウムの半減期はセシウム134が約2年、セシウム137は約30年です。つまり、チェルノブイリにおける甲状腺がんの増加は、放射性ヨウ素が原因であったと推定されるのです。もともとヨウ素は体の中に入ると甲状腺に集まりやすい、という性質がある上に、チェルノブイリ事故当時、旧ソ連邦政府が放射性物質によって汚染された食物や飲み物、特に汚染された牛乳の摂取を制限しなかったために、牛乳の摂取が多い小児を中心に高濃度の放射性ヨウ素の摂取による甲状腺の内部被ばくが起こったと考えられます。事故から25年以上が経過した現在、事故当時小児だった世代は20代後半から30代、つまり青年期から中年期にさしかかっていますが、この世代における甲状腺がんの増加が示されており、いわば好発年齢がシフトしている、といえます。
ベラルーシ共和国における甲状腺がん発症推移ベラルーシ共和国における甲状腺がん発症推移
 WHO(世界保健機関)は、事故から25年が経過した2011年に、事故当時0-15歳だったチェルノブイリ周辺住民において、甲状腺がんで手術した症例が約6,000例、そのうち甲状腺がんが原因で死亡した症例が15例であったと発表しています。その一方、チェルノブイリ周辺では、長崎・広島の原爆被爆者とは異なり、白血病や他の固形がんの増加は科学的に証明されていませんし、良性疾患の増加や遺伝的影響についても増加は証明されていません。しかし、実際に甲状腺がんを手術した住民を長期間にわたってフォローアップし、再発等がないかどうかを注意深く観察することが必要です。さらには、原発事故直後から発電所内で働いていた除染作業者の健康モニタリングにも、引き続き力を入れていく必要があります。
Q 18. 医療の中における放射線の役割を歴史的に教えてください。

A X線の発見から120年余り、医療の現場にはなくてはならないものです。
   1895年11月8日夜のことです。ドイツのビュルツブルグ大学のレントゲン博士は大学の研究室で、真空度の高いガラス管で真空放電の実験をしていました。ガラス管を黒い紙で覆っていたのにもかかわらず、暗室の写真乾板が光を発しているのに気づきました。
 写真乾板には蛍光剤が塗られており、この現象を調べてみると目に見えない不思議なものが板を感光させたことが分かりました。博士は「未知の」という意味でX線と名づけました。これが、電磁波の一種であるX 線の発見です。
 その後、博士はX 線の性質についての多くの実験を行い、自分や夫人の手のレントゲン写真を撮って手の骨がはっきり写ることを発表しました。発見は世界各国の多くの学者の関心を引き、人々は頭からつま先まで身体の各部位を描写しようと試みるようになりました。
 当時は、放射線被ばくという概念はなく、レントゲン写真を1 枚撮るときに人体が受ける放射線の線量が現在よりもはるかに多いものでした。
 発見から約1 年後、繰り返し放射線の照射を受け、特にX線管の近くで浴びると、皮膚に異常が生じることに気づきました。アメリカのトンプソン博士が、X線が人体に影響を与えるかどうかを見るために自分の指に数日間X 線を当てて、数週間後にやけどのようなものができるのを観察したのです。
 X 線の利用は医療の面で非常に早く広がりましたが、大量の放射線を受けた医者やX 線技師の間には、やけどだけでなく、がんが発生する者も出始めました。指や手などの切断を強いられる例もありました。写真フィルムの感光の様子を調べて線量を推定し、安全限界が分かったのは、X 線発見から約10年後の1902年です。
 その後の医療放射線は「検査を受ける者と検査する者の被ばくを、いかに少なくするか」に注意して進歩していきました。
 59年以降、急性放射線障害のみならず、晩発性障害が放射線によって起きることが明らかになってきました。放射線の防護知識に乏しかった時代に多くの犠牲者が出ましたが、その経験がよく伝えられたせいか、医療従事者や被検者の間でX 線や放射線による障害はその後、少ししか起こっていません。
 検者と被検者の安全が確保されるようになると、科学者の関心は病巣をいかに描出し、診断や治療に生かすかに移りました。
 病巣を明確にするため、放射線を透過しない物質(造影剤)が用いられるようになりました。さらに人体の断面画像を解析するCT(コンピューター断層撮影)スキャンの開発により、脳内や身体深部の腫瘍(しゅよう)などがはっきり分かるようになり、以前には考えられなかった診断、治療ができるようになりました。科学技術の進歩で、今では病巣を立体的なイメージとして描出できるまでになっています。さらに近年では、PET(陽電子放射断層撮影)によってがんをがんを早期に発見できるようになっています。
 ドイツの電気会社の社長が発見を特許として譲ってほしいと申し出たとき、レントゲン博士は「X線は使用する人のもので、自分の研究成果を独占しようとする者のものではない」と断ったそうです。お陰でX 線は速やかに普及し、1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞しました。
図 レントゲンフィルムによる骨の病巣部発見
  (中央のぬけた陰影ががん病巣)