アイソトープ実験施設

From NURIC

福島第一原子力発電所事後とその後

『次の10年に向かって』

ATOMOΣ誌からの原稿依頼をお引き受けして、そういえば1F事故直後にも同じようなことがあったと思い出した。探してみると、2011年10月号に拙稿が掲載されていた1)。今回は、それ以来、私が触れてきた範囲内での原子力・放射線に関する社会環境はどのような変遷を辿り、結局、10年後にはどうなっているのかということを整理してみる良い機会となった。

事故後しばらくの間、いわゆる「原子力」とは直接の関係のない放射線関連学会でも、それぞれの専門領域から1F事故を取り上げた。その中で私がプレゼンに使ったスライドを見直してみると、一様に、説明の伴わない無責任なモニタリングデータの氾濫を嘆き、多種多様な「専門家」の健康影響に関する意見の不一致に失望し、そのような国民的混乱の中で見えたものとして、白か黒か、善か悪か、安全か安全でないかを求める「単純な二値化」、マスコミが振りかざす「無邪気な正義感」、それでも堂々と逆風に立ち向かい原子力の推進を声高に叫ぶ「浮世離れした原子力村」を挙げていた。単に挙げるだけで、無責任なものであるが、当時の率直な感想ではあろう。

モニタリングデータの氾濫は、逆に言えば良質なモニタリングデータが十分に発信されていなかったことを意味する。緊急時モニタリングを初めとする初期の放射線情報の混乱については、本誌2011年12月号の解説に詳しい2)。事故後の3月14日以降に滞在した福島県災害対策本部医療班にあっても、福島県立医大にあっても、組織的に収集されたモニタリングデータを目にすることはなかった。また、現場で自前に収集したモニタリングデータを発信することのできる信頼に足るサイトはなく、やむなく学会のメーリングリスト内で情報共有するにとどまった。それを教訓として、緊急時モニタリングに興味を持つことになった。多くの大学で、1F事故後にモニタリングを初めとする緊急対応が自主的に行われてきたこと、また緊急時の組織的な対応に前向きであることがわかったので、大学の放射線施設の種々のモニタリング機器とスキルを活用し、緊急時の自前のモニタリングデータの相互チェックと発信のできるプラットフォーム作りを描いた教育研究プロジェクトを立ち上げた3,4)。原子力規制人材育成事業により支援を受けたこのプロジェクトは、各放射線施設のモニタリングスキルアップ及びネットワーク化とともに、次の世代を担う人材の発掘と育成を目的とした。その一つとして、1F及び福島県内各地、九州電力(株)玄海原子力発電所及び佐賀県オフサイトセンター、日本原燃(株)六ケ所村事業所及び(公社)環境科学技術研究所、JAEA人形峠環境技術センター等の協力を得て実施した全国公募型フィールドモニタリングセミナー5,6)には、13回で207名の医学生物学、薬学、保健学、工学、理学等多岐にわたる専門分野の学生等が参加した。マスコミや論文を通じて知る情報ではなく、実際に測定し、かつ現地の活動に触れ、さまざまな角度から放射線環境を知ったことにより、複合領域、学際領域である緊急時におけるモニタリングの裾野となる人材が今後増えてくれることを期待している。

また、この事業を契機として、新たな原子力災害対策指針のもとで整備が進められている緊急時モニタリングセンター(EMC)の訓練にも関わることとなった。従来からのモニタリング情報等共有システム(RAMISES)に加えて、新クロノロジーシステムが導入され、新型コロナウイルス感染拡大策と連動してリモート会議はさらに普及し、支援システムは徐々に進化している状況である。その実効性はEMCに参集する国、自治体、事業者、指定公共機関のメンバーのスキルに大きく依存する。新体制の中身を充実させ、EMCの実効性を確保するための訓練の実施と人材の確保、育成が今まさに重要な段階にある。

健康影響に関する専門家の意見の不一致については、専門家と言われる人々の放射線に対するリスク認知を調査したところ、ものの見事に法規制による基準値を拠り所としており、1F事故後の基準値を超えた段階では、専門家といえ思考停止に陥り、一様ではない個々のリスク認知に基づく発言や行動が顕在化したことがわかった7)。専門家に対して科学的均一性を求める一般市民と、決して均一ではない専門家の実像のギャップが、あの大きな混乱を招いた一因と考えている。それでは、と、市民や小中高校生に正しい放射線の知識を伝授する機会や支援ツールは飛躍的に増えた。皆が正しい知識を得たからといって、皆が同じ考え方をする必要はないが、放射線ラーニングと放射線リスクコミュニケーションが共存せざるを得ない環境では、教育の目的として「合意形成」の一語が垣間見られる。正しい知識の普及は良いことだが、これで「単純な二値化」と「無邪気な正義感」がどの程度払拭できるのかどうかはわからない。一方、医学教育の立場からも新しい放射線教育が必要との声が高まり、2014年9月に日本学術会議より提言「医学教育における必修化をはじめとする放射線の健康リスク科学教育の充実」8)が発出され、2017年3月に公表された医学教育モデル・コア・カリキュラムでは、基礎的な「生体と放射線」、「医療放射線と生体影響」に加えて、実践的な「放射線リスクコミュニケーション」及び「放射線災害医療」が新たな学修項目として設定された。しかしながら、もともとカリキュラムが過密な医療系学部、学科で、この新しい授業を開講する時間と教育リソースは限られている9)。そこで、国立大学医学部長会議と文部科学省課題解決型高度医療人材養成プログラムもこの動きに連動し、今ではビデオストリーミング配信を初めとする放射線健康リスク科学教育に関する教育コンテンツが公開されている10)。原子力災害時に適切に対処できる医療従事者の養成が最終目的であるが、まずは、そのような世界に興味を持つ学生を育てる段階と言えよう。

浮世離れした原子力村とは失礼な言い種だが、管理している大学の放射線管理区域をはるかに超えるレベルの汚染を広い範囲の一般環境に引き起こした原子力発電というテクノロジーに対して、私が嫌悪感を持っていることは事実である。学内のエネルギー関係のセミナーで1F事故時の経験について講演を行った際に、そのような感情が少なからず滲み出ていたのだろう、参加者の一人から、ぜひ、我が社でもこのような話をしてもらえないか、という打診を受けた。それが九州電力の社員の方であった。なんとも包容力のある会社かと驚きつつお受けしたが、支社での講演後、社員の方にどこまで響いたのかどうかはわからない。しかしこれが契機となって、意見投稿要請問題に揺れる同社の信頼性再構築のためにと設置された委員会に外部委員として招かれることとなった。コンプライアンスやコミュニケーションの考え方の違いや、「原子力発電に係る急激な環境変化への対応」、「地域共生」等の聴き慣れない語群など、なかなか言葉の通じない部分もあり、なるほどこれが原子力村かと実感させられることしきりであった。直球勝負の委員長に引っ張られ、門外漢が図に乗って言いたいことを言わせていただいた感があるが、気がつくとそれなりに議論が噛み合う部分も出てくるようになった。そして1F事故後、日本初となる再稼働に向けての動きが本格化すると、激務を黙々とこなしている原子力部隊を、立場は違うが同じ職業人として陰で応援していた。原子力村のリアリティに触れた瞬間である。7年以上にわたった一連の議論と総括報告書は、すべて同社ホームページで公開されている11)。極めて興味深い仕事であった。

1F事故から次の10年に向かおうとしている。これまでの10年でも、国内で被ばくを伴う原子力・放射線施設の事故は数度にわたり起こっている。わが国は原子力・放射線災害大国と言ってもいい。次の10年も何かが起こる可能性は十分にある。原子力の規制や、運用や、その防災に関わる人間は、このことを肝に銘じて、決して福島の記憶を風化させず、常に緊張感を持って事にあたらなければならない。1F事故を典型的な原子力事故モデルと考えてはいけない。訓練を企画する側は、もっと想像力を持ち、頭を使うことである。そして、線量の相場観を持ち意思決定のできる人材を育てることである。私が触れてきたような、原子力・放射線に関する社会環境のほんの一部の領域でも、課題は山ほどありそうだ。

参考文献

4.30.2021松田尚樹

本稿は日本原子力学会誌「アトモス」2021年2月号特集Ⅱ「福島原発事故とその後」に掲載されたものです。