早いもので、2008年4月に放射線疫学分野(原研疫学)(※)の主任教授に着任してから1年半がたとうとしています。着任時、現行の定年制度(65歳)のままでいくとすると、定年まであと26年あると聞き、ずいぶん先のことかと思いましたが、この1年半があっという間であったことを思えば、26年も意外に早く来るのかもしれません。それは冗談としても、着任時にはたった一人であった原研疫学も現在では助教1名、大学院生6名、それにミーティングに参加しているメンバーを合わせると、関係者は30名を超えようとしています。毎週月曜日の夜に行われている教室のミーティングは活気にあふれ、社会医学を志す人が集うことができる「場」となりつつあります。
放射線疫学分野を預からせていただくことが決まった際、私は以下の3つを本分野の中心的課題と考えました。すなわち、
- 国際ヒバクシャ医療分野を中心とした国際保健医療、福祉分野への貢献
- 長崎における社会医学の復興と人材の育成
- 地域医療との連携と貢献
を本分野が優先して行う事項として行うこととしました。
まず「国際保健医療、福祉分野への貢献」ですが、これは私が原研国際放射線保健部門で山下俊一教授のもとで助手としてチェルノブイリ、セミパラチンスクをフィールドとした医療協力、共同研究を開始して以来、一貫して行っているものですが、同時に現行のグローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」の大きな柱である「国際放射線保健医療研究」分野の中核をなすものでもあります。すでに私は、長崎大学がベラルーシ共和国の首都ミンスクに設立した代表部の代表として共同研究のインフラ整備を行っていますが、これを足掛かりにした分子疫学研究も順調に進捗していますし、またこの拠点を活用した被ばく線量評価研究(林田、平良、関谷)や甲状腺がんを対象とした分子疫学研究(林田、関谷)、種々の臨床共同研究(平良)もすでに開始されています。それに加えて現地の日本大使館頭とも連携して地方の診療所等への医療支援も草の根無償支援の枠を中心として積極的に関与しています。今後はこれら支援と研究を連動させる形で特に汚染地域が多い地方に根差した研究を展開していきたいと考えています。
一方、セミパラチンスクについてはこれまでもセミパラチンスク医科大学を中心とした学術共同研究を展開してきましたが、先日(2009年8月)の訪問の際にはアルマティ医科大学とも新たに学術交流協定を締結し、今後共同研究を展開する予定です。研究面では甲状腺がんや皮膚がんにおける分子疫学研究を推進してきたほか、現地住民の栄養と健康という観点からも臨床研究を推進してきました。また林田直美助教は長期間にわたってセミパラチンスクにおける外科手術の支援に貢献しており、その実績は現地でも非常に高い評価を得ています。今後はこれまで培ってきた医療技術支援と疫学研究を融合させ、より地域住民に還元可能な成果を出していきたいと考えています。
さらに、グローバルCOEプログラムの大きな目的として、アジアへの研究フィールドの展開があげられますが、現在インド・モンゴル・ベトナムをフィールドとした共同研究を展開中であるほか、この10月からはアフガニスタンからの大学院生も受け入れるなど、着実にアジアへの研究基盤を構築しつつあります。またインドからはGCOE研究員としてBrahmanandhanが着任し、高放射能バックグラウンド地域における健康影響解明に向けた基礎検討を行ってくれています。アジアへの展開を全面的に行うにはまだまだ研究室としての体力が足りないのは否めないのですが、ぜひ今後も継続していきたいと考えています。
さて、「長崎における社会医学の復興と人材の育成」についてですが、私はこれまで衛生学、公衆衛生学の講師、准教授を経験するなかで、社会医学の重要性を再認識すると同時に、長崎、もっといえば日本全体における社会医学が必ずしも順風満帆ではないことを実感せざるをえませんでした。現在のEBM重視の医学において、本来なら社会医学は基礎と臨床をつなぐ学問として重要視されるべきであろうと思うのですが、日本における現状は必ずしもそうなっていません。これにはいくつかの非常に大きな原因があると考えられますが、それはここでは割愛するとして、私はなんとか社会医学を復興させ、教室のミーティングや実際の研究を通じて将来を担う人材を育成していきたいと考えています。先ほども述べましたように、幸い当教室のミーティングには大学院生、学部学生のみならず他学科、他大学の教官や臨床医、臨床心理士等が参加し、分野を超えて学ぶ場が形成されつつあります。今後は、このような人材が修士、博士課程を通じて学び、社会医学のスペシャリストとして活躍できるシステムを構築していきたいと考えています。幸い、GCOEプログラムでは若手研究者への支援を重点的に予算配分していただいていますので、これらを活用した人材育成を図りたいと考えています。
さらに、「地域医療との連携と貢献」は私の理念である「地域医療(地域保健)と国際医療(国際保健)は同一線上にあり、同時に実践させるべきものである」という考えのもと、これまでも積極的に行ってきました。私が公衆衛生時代に関わってきた、離島医療研究所が中心となって行っている五島における分子疫学研究に継続して参加しており、今後も健診をベースとした地域に密着した研究を推進していく予定です。五島検診以外にも昨年来長与町や時津町などの原爆検診、特定健診に参加しての調査を行っており(林田、森下、新川)、得られた成果はすでに論文化されています。当分野の大学院生6名のうち3名は社会人大学院生ということもあり、現場でデータをとってまとめていく研究スタイルはきわめて重要です。検診(健診)を行っている市町村、あるいは長崎県健康事業団とも非常に良好な関係を保っており、今後も種々の臨床疫学データを原爆検診、特定健診等を通じて収集、解析していきたいと思います。さらに原爆被爆者の皆様の健康に少しでも還元できればと考え、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館と今日で月に一度、「被爆者健康講話」を開催し、教室スタッフ、大学院生による講話を行っています。社会医学の一翼を担う研究分野として、被爆者の方の健康増進に貢献することは責務だと考えており、今後も継続していきたいと考えています。
また現在長崎県下で唯一PET-CTを導入している西諌早病院(医療法人祥仁会)とは、「PET-CTによる良性疾患の診断」についての共同研究を進めています(林田、入江)。御承知のように、PET-CTは癌の早期発見のツールとして近年普及していますが、例えば慢性甲状腺炎や脂肪肝のような頻度も高い良性疾患がPET-CTで簡便に診断できるようになれば、健康診断ツールとしてのPET-CTの意義がさらに高まることが期待されます。原研にはアイソトープ診断分野が新設されることになっており、今後さらに臨床分野との共同研究を進められればと考えています。さらに国立病院機構長崎病院にもNASHIM(長崎ヒバクシャ医療国際協力会)の研修事業等でも多大なご協力をいただいており、院長の森俊介先生には地域医療、保健の種々の問題について事あるごとに貴重なアドバイスをいただいています。
以上のように、教授1、助教1の小さな研究分野で、まだまだ発展途上ではありますが、上記のような研究活動を通じて大学、社会に貢献できる組織を作っていきたいと考えています。国際保健、地域保健と守備範囲は広いのですが、いかんせん私も含めて若いスタッフによるなれない教室運営で、助教の林田先生も臨床と研究、教室運営という3足のわらじを履いて獅子奮迅の働きをしていただいています。今後とも、皆さんの御協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
※放射線疫学分野(通称:原研疫学)は2011年4月1日より国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)に教室名が変更されました。