長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)

教授就任のごあいさつ

長崎大学原爆後障害医療研究所
国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)
教授 高村 昇
長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)教授 高村 昇
 原爆後障害医療研究施設放射線疫学分野(通称:原研疫学)(※)に着任しました高村昇と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私は長崎県立長崎南高等学校を卒業後、昭和62年(1987年)に本学医学部に入学いたしました。入学当時はまだ古い医学部基礎棟で、全体的に薄暗い教室の中で学んだことをついこの前のことのように思いだします。日々講義、実習と忙しい毎日ではありましたが、今の現役医学部生に比べればはるかにのんびりとした、いい意味でゆとりある日々であったと思います。在学中に現在の新しい医学部基礎棟が完成し、非常に明るく広々とした環境になったのですが、あれから15年がたち、今度は附属病院の新病棟がついに完成したことは非常に感慨深いものがあります。

 平成5年に卒業後、ただちに原爆後障害医療研究施設の発症予防部門(原研細胞)の大学院生となり、同時に第一内科での研修医として研鑽を積ませていただきました。この年の第一内科は入局者が7名と、当時としては極めて少数だったのですが、そのせいか研修医同士の結束も固く、毎日の臨床業務に追われながらも非常に有意義な日々を過ごすことができました。この当時、医学部長としても多忙を極めておられた長瀧重信教授(現名誉教授)、助教授として第一内科の屋台骨を支えておられた江口勝美先生(現教授、附属病院長)をはじめとする多士済々の先生方に薫陶を受けたことは、私の現在までの大きな財産になっています。

 臨床研修終了後は、原研細胞の大学院生として山下俊一教授(現原研施設長、グローバルCOE拠点リーダー)の御指導の下、特に先天性疾患の遺伝子解析を中心に仕事を行いました。世界的にも希少な疾患である先天性赤芽球性ポルフィリン症の責任遺伝子解析を行うため、全国を文字通り行脚しながら患者さんを訪問して血液を提供していただき、ラボに持ち帰って遺伝子解析を行う仕事は、まさに現場と研究室をつなぐ仕事であり、現在の私にとっての原点であったといえます。このような中で、先天疾患に苦しむ患者さんの要望の中から全国的なポルフィリン症患者の会を立ち上げられたことも大きな経験となりました。

 大学院修了後、原研に新設された国際放射線保健部門の助手に着任し、遺伝子解析をはじめとする国際共同研究に携わったほか、チェルノブイリ、セミパラチンスクといった旧ソ連邦の放射能汚染地域における健康影響評価、医療支援、さらには医療システム改善に参画しました。これはひとえにこれらのプロジェクトを現在も継続されている山下教授の御指導の賜物で、これらの経験を通じて現在にいたる社会医学的アプローチを志向するきっかけを得ることもできました。このチェルノブイリ医療支援システム、特に遠隔医療支援システムを現地に構築する目的で、1999年から世界保健機関(WHO)本部に技術アドバイザーとして出向し、国際保健の総本山で国際保健のエキスパートにもまれながら、プロジェクトの推進を体験することができました。当時はWHO本部で勤務した経験を持つ長崎大学の先輩もおらず、プロジェクトの立ち上げのみならず生活環境もすべて一から立ち上げる大変さを味わいましたが、その中でWHO内外の多くの知己を得、今に至っても大きな財産となっています。

 帰国後2001年から当時の衛生学の齊藤寛教授(前長崎大学学長)から衛生学の講師として迎えていただき、本格的に社会医学の中での国際保健、分子疫学、臨床疫学研究を推進することができました。在任中、教室自体の役に立った記憶はほとんどないのですが、衛生学教室の自由闊達とした雰囲気と齊藤先生の寛容な精神に甘える形で自由な立場で研究をすることができ、遺伝子解析研究に加えて引き続きWHOのプロジェクト推進のために頻回に現地に足を運んだほか、放射線災害時におけるガイドラインの策定に向けた基礎的検討などを手掛けることができました。原研から医学部基礎棟への移動で戸惑うことも多かったのですが、当時医学部長であった齊藤先生とは、いつも生協で昼食をとりながら研究のみならず教育、組織運営等について文字通りマンツーマンで指導をしていただきました。

 さらに齊藤先生の御退官後、2003年からは衛生学教室の隣にある公衆衛生学分野の教授に昇任された青柳潔先生にお誘いを受けて助教授(准教授)として着任し、従来の国際保健、分子疫学に加えて地域保健、臨床疫学研究にもその活動範囲を広げることができました。多彩なバックグラウンドを持つ社会人大学院生が多く在籍する教室において、それぞれの特性を考えながら研究テーマを考え、論文を仕上げていく作業は、私にとって非常に面白い仕事であり、逆に大学院生から刺激を受けることもたびたびでした。さらに新設された離島医療研究所の前田隆浩教授と展開した五島の大離島、小離島をフィールドとした生活習慣病の分子疫学研究は、学内の多くの先生方の御協力をいただきながら着実な業績を上げることができました。このように本学医学部卒業以来、15年余りにわたって大小さまざまな教室で働く場をいただいたことで、大学における組織のありかた、研究者のありかた、そして教育のあり方を多様な視点で考えることができたと、感謝する次第です。

 さて、皆様ご承知のように、平成19年度から5年間、グローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」が採択となりました。本拠点は、これまでの21世紀COEプログラムで構築した旧ソ連邦のフィールドを中心とした拠点や、欧米を中心とした放射線生命科学拠点を活用し、国内外における本分野の人材育成を目的とするものです。本拠点の特記すべき点は、学内、国内の関係機関との連携を積極的にすすめるのはもちろんのこと、WHOをはじめとする放射線と健康に関連する国際機関と連携し、将来的には国際機関において放射線健康リスク制御のための各種ガイドラインやスタンダードを、エビデンスを元に策定、発信できる人材を育成することを目的としている点です。今回私が6年半ぶりに原研に戻り、放射線疫学分野に着任した使命は、まずこのグローバルCOEの拠点としての実質化を図り、(気の早い話になりますが)ポスト・グローバルCOEの獲得を通じて、長崎大学の大きな柱の一つである放射線生命科学分野の進展に微力ながらも尽力することだと自覚しています。これまでいろいろな組織で得られた知識、理念とノウハウを駆使して、国際保健、地域保健といった社会医学を志向する幅広い人材を教育、輩出するために専念していきたいと考えています。とはいえ、私自身まだ40歳と若輩で、同門の先生方にお知恵を拝借することも多々あると思います。その際にはどうぞよろしくお願いいたします。

※現在は長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)となっています。

WHO健康開発研究総合センター(WHO神戸センター)の勤務を終えて

WHO健康開発研究総合センター(WHO神戸センター)
 本年1月から9月までの9ヶ月間、神戸市にあるWHO健康開発研究総合センター(WHO神戸センター)にテクニカルオフィサーとして出向してきました。厳密には、WHO本部(ジュネーブ)にあるDepartment of Essential Health Technology、つまり必須医療機器部門の所属だったのですが、実際には神戸センターで仕事をさせていただきました。
 我々が専門とする放射線にはリスク(高線量被ばくによる急性、晩発性の放射線障害)とベネフィット(低線量の放射線を用いた医療への応用)という両面があり、それがとりもなおさずグローバルCOEプログラム「放射線リスク制御国際戦略拠点」の主眼ともなっているわけですが、その一方で放射線診断機器をはじめとする医療機器は、先進国と開発途上国ではその普及状況が全く異なります。たとえば、CT一台あたりの人口を比較してみるとEU諸国では13万3000人であるのに対して、アフリカ諸国では332万人と20倍以上の格差がありますし、今年長崎大学病院に導入されたPET-CT一台当たりの人口にしても、EU諸国が243万7000人であるのに対して、アフリカ諸国では4248万人と、1カ国に一台あるかどうかのレベルにあるのが現状なのです。
 今回の私の仕事(プロジェクト)の一番の目的は、WHOの医療機器部門において、いわゆる「革新的な医療機器の選定」を行うことでした。ここでいう「革新的な」という言葉、英語で言うとInnovativeという言葉になるわけですが、本プロジェクトにおける「革新的な」医療機器は、必ずしも技術の最先端を利用したもの、というわけではなく、むしろこれまでにないような簡便性であるとか、低コストという点で「革新性」を持ち、開発途上国への普及が可能である、ということが重要視されるわけです。ですので、選考基準としては、安全性、効率性、地域のインフラに対する適応性、操作・メンテナンスの簡便性、コスト、地域社会、文化への対応性を重視するものになりました。
 実際、WHOがこのような形で企業に公募をかけることは珍しいのですが、最終的には29カ国から84の応募があり(残念ながら日本からの応募はありませんでしたが)、私を含めてWHOスタッフ3名、それにトロント大学、EUのメンバーによる審査を行い、最後はコペンハーゲンでのWHOの会議を経て、15の医療機器を「革新的な医療機器」として選定しました。選定された医療機器は、WHOのホームページ(http://www.who.int/medical_devices/call/en/)で見ることができますので、そちらを参照していただければ、と思います。
 さて、9か月に及ぶWHO神戸センターでの仕事でしたが、生まれて初めての関西での生活は、当初こそ「日常にあふれる関西弁」に戸惑ったものの、神戸という洗練された国際都市での生活は非常に快適で、充実した生活を送ることができました。WHO神戸センターは、私が10年前に勤務したWHO本部(ジュネーブ)とは違い、全スタッフ合わせて30名程度と非常に小さなオフィスでしたが、インド出身のクマレサン所長はじめとして専門官に日本人はほとんどおらず、またもっぱらジュネーブとのやり取りの中で仕事を進めていくことが多かったこともあり、久しぶりの国際公務員を楽しむことができました。
 その一方、不在中に原研疫学のスタッフ、大学院生の皆さんをはじめ、多くの方に迷惑をかけたことをお詫びしなくてはいけません。助教の林田直美先生が孤軍奮闘して教室を支えていただいたおかげで、大学院生の研究は私の不在中にもかかわらず順調にすすみ、月に2-3回長崎に戻って研究の進行状況を確認する際にも安心してみることができました。保健学科修士学生も新たに加わり、現在では10名の大学院生を抱える教室になりましたが、今後もそれぞれの専門性にあわせた、社会に貢献できる研究の推進を目指し、同時に国際社会で活躍できる人材の輩出を目指していきたいと思います。今後も皆さんの御支援を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

(2010.11.19更新)

放射線疫学分野着任から1年半を振り返って

教授 高村 昇 教授 高村 昇
 早いもので、2008年4月に放射線疫学分野(原研疫学)(※)の主任教授に着任してから1年半がたとうとしています。着任時、現行の定年制度(65歳)のままでいくとすると、定年まであと26年あると聞き、ずいぶん先のことかと思いましたが、この1年半があっという間であったことを思えば、26年も意外に早く来るのかもしれません。それは冗談としても、着任時にはたった一人であった原研疫学も現在では助教1名、大学院生6名、それにミーティングに参加しているメンバーを合わせると、関係者は30名を超えようとしています。毎週月曜日の夜に行われている教室のミーティングは活気にあふれ、社会医学を志す人が集うことができる「場」となりつつあります。
 放射線疫学分野を預からせていただくことが決まった際、私は以下の3つを本分野の中心的課題と考えました。すなわち、

  1. 国際ヒバクシャ医療分野を中心とした国際保健医療、福祉分野への貢献
  2. 長崎における社会医学の復興と人材の育成
  3. 地域医療との連携と貢献
を本分野が優先して行う事項として行うこととしました。
 まず「国際保健医療、福祉分野への貢献」ですが、これは私が原研国際放射線保健部門で山下俊一教授のもとで助手としてチェルノブイリ、セミパラチンスクをフィールドとした医療協力、共同研究を開始して以来、一貫して行っているものですが、同時に現行のグローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」の大きな柱である「国際放射線保健医療研究」分野の中核をなすものでもあります。すでに私は、長崎大学がベラルーシ共和国の首都ミンスクに設立した代表部の代表として共同研究のインフラ整備を行っていますが、これを足掛かりにした分子疫学研究も順調に進捗していますし、またこの拠点を活用した被ばく線量評価研究(林田、平良、関谷)や甲状腺がんを対象とした分子疫学研究(林田、関谷)、種々の臨床共同研究(平良)もすでに開始されています。それに加えて現地の日本大使館頭とも連携して地方の診療所等への医療支援も草の根無償支援の枠を中心として積極的に関与しています。今後はこれら支援と研究を連動させる形で特に汚染地域が多い地方に根差した研究を展開していきたいと考えています。
 一方、セミパラチンスクについてはこれまでもセミパラチンスク医科大学を中心とした学術共同研究を展開してきましたが、先日(2009年8月)の訪問の際にはアルマティ医科大学とも新たに学術交流協定を締結し、今後共同研究を展開する予定です。研究面では甲状腺がんや皮膚がんにおける分子疫学研究を推進してきたほか、現地住民の栄養と健康という観点からも臨床研究を推進してきました。また林田直美助教は長期間にわたってセミパラチンスクにおける外科手術の支援に貢献しており、その実績は現地でも非常に高い評価を得ています。今後はこれまで培ってきた医療技術支援と疫学研究を融合させ、より地域住民に還元可能な成果を出していきたいと考えています。
 さらに、グローバルCOEプログラムの大きな目的として、アジアへの研究フィールドの展開があげられますが、現在インド・モンゴル・ベトナムをフィールドとした共同研究を展開中であるほか、この10月からはアフガニスタンからの大学院生も受け入れるなど、着実にアジアへの研究基盤を構築しつつあります。またインドからはGCOE研究員としてBrahmanandhanが着任し、高放射能バックグラウンド地域における健康影響解明に向けた基礎検討を行ってくれています。アジアへの展開を全面的に行うにはまだまだ研究室としての体力が足りないのは否めないのですが、ぜひ今後も継続していきたいと考えています。
 さて、「長崎における社会医学の復興と人材の育成」についてですが、私はこれまで衛生学、公衆衛生学の講師、准教授を経験するなかで、社会医学の重要性を再認識すると同時に、長崎、もっといえば日本全体における社会医学が必ずしも順風満帆ではないことを実感せざるをえませんでした。現在のEBM重視の医学において、本来なら社会医学は基礎と臨床をつなぐ学問として重要視されるべきであろうと思うのですが、日本における現状は必ずしもそうなっていません。これにはいくつかの非常に大きな原因があると考えられますが、それはここでは割愛するとして、私はなんとか社会医学を復興させ、教室のミーティングや実際の研究を通じて将来を担う人材を育成していきたいと考えています。先ほども述べましたように、幸い当教室のミーティングには大学院生、学部学生のみならず他学科、他大学の教官や臨床医、臨床心理士等が参加し、分野を超えて学ぶ場が形成されつつあります。今後は、このような人材が修士、博士課程を通じて学び、社会医学のスペシャリストとして活躍できるシステムを構築していきたいと考えています。幸い、GCOEプログラムでは若手研究者への支援を重点的に予算配分していただいていますので、これらを活用した人材育成を図りたいと考えています。
 さらに、「地域医療との連携と貢献」は私の理念である「地域医療(地域保健)と国際医療(国際保健)は同一線上にあり、同時に実践させるべきものである」という考えのもと、これまでも積極的に行ってきました。私が公衆衛生時代に関わってきた、離島医療研究所が中心となって行っている五島における分子疫学研究に継続して参加しており、今後も健診をベースとした地域に密着した研究を推進していく予定です。五島検診以外にも昨年来長与町や時津町などの原爆検診、特定健診に参加しての調査を行っており(林田、森下、新川)、得られた成果はすでに論文化されています。当分野の大学院生6名のうち3名は社会人大学院生ということもあり、現場でデータをとってまとめていく研究スタイルはきわめて重要です。検診(健診)を行っている市町村、あるいは長崎県健康事業団とも非常に良好な関係を保っており、今後も種々の臨床疫学データを原爆検診、特定健診等を通じて収集、解析していきたいと思います。さらに原爆被爆者の皆様の健康に少しでも還元できればと考え、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館と今日で月に一度、「被爆者健康講話」を開催し、教室スタッフ、大学院生による講話を行っています。社会医学の一翼を担う研究分野として、被爆者の方の健康増進に貢献することは責務だと考えており、今後も継続していきたいと考えています。
 また現在長崎県下で唯一PET-CTを導入している西諌早病院(医療法人祥仁会)とは、「PET-CTによる良性疾患の診断」についての共同研究を進めています(林田、入江)。御承知のように、PET-CTは癌の早期発見のツールとして近年普及していますが、例えば慢性甲状腺炎や脂肪肝のような頻度も高い良性疾患がPET-CTで簡便に診断できるようになれば、健康診断ツールとしてのPET-CTの意義がさらに高まることが期待されます。原研にはアイソトープ診断分野が新設されることになっており、今後さらに臨床分野との共同研究を進められればと考えています。さらに国立病院機構長崎病院にもNASHIM(長崎ヒバクシャ医療国際協力会)の研修事業等でも多大なご協力をいただいており、院長の森俊介先生には地域医療、保健の種々の問題について事あるごとに貴重なアドバイスをいただいています。
 以上のように、教授1、助教1の小さな研究分野で、まだまだ発展途上ではありますが、上記のような研究活動を通じて大学、社会に貢献できる組織を作っていきたいと考えています。国際保健、地域保健と守備範囲は広いのですが、いかんせん私も含めて若いスタッフによるなれない教室運営で、助教の林田先生も臨床と研究、教室運営という3足のわらじを履いて獅子奮迅の働きをしていただいています。今後とも、皆さんの御協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

※放射線疫学分野(通称:原研疫学)は2011年4月1日より国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)に教室名が変更されました。

教授プロフィール

スタッフあいさつ

ページのトップへ戻る