長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)

スタッフあいさつ

助教 平良 文亨

助教 平良 文亨 助教 平良文亨
 2017年5月に原研国際の助教に着任しました平良です。
 久方ぶりに原研国際に戻って参りました。というのも、2008年4月、原研国際の教授にご就任されたばかりの高村教授の下、博士課程の社会人学生として門戸をたたいた第1期生であるからです。博士課程では、当時私が勤務していた長崎県環境保健研究センターで担当していた環境放射能調査をより高度に展開するため、人への影響評価に繋がるような研究を世界の原子力災害地域(チェルノブイリ、セミパラチンスク、長崎)をフィールドとして研究していました。高村教授のご指導を賜り、学位論文が一段落した直後の2011年3月11日、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故が発生し、その緊急時対応の一環で福島県内における緊急時モニタリング要員として、微力ながら福島県への支援をさせていただきました。
 福島第一原子力発電所により、日本の原子力防災に対する考え方が大きく変わり、当時私が従事していた「環境放射能」という分野がクローズアップされる契機となりました。これまで非常に地味な印象であったこの分野に関心を持っていただくという意味では、この分野に従事している者として大変意義あることと思いましたが、私個人としての原子力防災あるいは放射線(能)リスク評価に関する考え方は、福島第一原子力発電所事故の前後で全く変わっていません。それは、危機管理という観点から、災害・事故の有無に関係なく不測の事態に備えることは至極当然であるとの強い思いがあったからです。
 その端緒は、私が生まれ育った東北から遠く離れた長崎で大学生活を送った頃の環境にあったように思います。
 長崎でほぼ連日報道される原爆に関するニュースを目の当たりにし、放射線(能)というキーワードが脳裏に強くインプットされるとともに、学部生活を送った薬学部では放射線の基礎講座を受講し、その後社会人となって15年間勤務した長崎県では一貫して原子力防災に携わってきたことから、まさかの緊急時に備えて平時から精一杯仕事をするということに変わりはないからです。と当時に、医療従事者の一員である薬剤師でもありますから、患者様あるいは住民の皆様のQOLの維持向上に向けて支援するという使命感のような意識もあります。
 これまで、薬局・病院・行政薬剤師を経験させていただくとともに、自治体職員として原子力防災に携わった者が、久しぶりに原研国際に戻ってきたということは、言わば必然のように思えてなりません。
 福島第一原子力発電所事故後、放射線リスク評価に対しては多くの考え方があり、唯一正解というものがないような中で、我々社会医学に携わる研究者は、中長期的な視点で科学的根拠の丁寧な説明と情報共有を図るという放射線リスクコミュニケーションを意識するとともに、医療従事者という側面から地域に「寄り添う」という姿勢が極めて重要であると考えています。
 これまで以上に、地域で安心して生活を送ることができるよう信頼関係を構築し、共に明るい未来に向かって進むことができるよう地域の皆様と歩んでいきたいと思います。

助教 折田 真紀子

助教 折田 真紀子 助教 折田真紀子
 原爆後障害医療研究所国際保健医療福祉学研究分野の助教に着任しました折田真紀子と申します。どうぞよろしくお願いします。
 私は、平成22年に長崎大学医学部保健学科を卒業後、医歯薬学総合研究科保健学専攻の大学院生となり、高村昇教授のご指導の下、重症心身障害児における心拍変動解析や地域保健活動に関わらせて頂きました。特に、国立病院機構長崎病院では、森俊介先生、平松公三郎先生のご厚情の下で、地域で暮らす重症心身障害児への生活支援に関わらせて頂き、保健医療福祉の統合的な連携の重要性を勉強させて頂きました。
 また、修士課程在学中は、放射線専門看護師養成コースのカリキュラムの中で、主に放射線に関する保健、被ばく医療学を学びました。特に平成24年春からは東日本大震災に伴う福島原発事故の影響を受けた福島県川内村で放射線に関する保健活動をさせて頂くことになり、平成25年春から長崎大学は本格的に川内村に復興推進拠点を設置しましたが、私は原爆後障害医療研究所の大学院生および医歯薬学研究科看護学講座の助教として、遠藤雄幸村長、猪狩貢副村長、井出寿一復興推進課長(当時)、秋元賢保健福祉課長(当時)、山下俊一先生、浦田秀子先生、高村昇先生のご指導の下、拠点活動に関わらせて頂きました。
 現在、川内村が帰還してから6年目を迎えていますが、村への帰還率は80%を超えたと伺っています。川内村は、これまでの復興の過程で、多くの皆さんの時間と努力を必要としたことだろうと思いますが、私に人情の温かさ、自然の豊かさ、一人ひとりの力によって地域が構成されていくことなどを教えてくれました。また、行政と専門家、住民の皆さんとが協力することで、原子力災害からの復興を進めていくことができるのではないかと教えてもらいました。あらためて川内村で活動させて頂いていることに、心から感謝申し上げます。特に川内村の皆さんには、日ごろから拠点活動にご協力を頂き深謝申し上げます。
 今後は、原研国際教室の一員として、放射線に関する地域保健活動と福島復興に資するエビデンスの構築に少しでもお役に立てるよう努力し、将来的には、被ばく医療や原子力防災に関する地域医療・国際保健に少しでも貢献していきたいと考えています。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

助教 山田 裕美子

助教 山田 裕美子 助教 山田 裕美子
 2018年10月に原研国際の助教に着任しました山田裕美子です。よろしくお願い致します。
 私は、長崎大学病院にて12年程看護師として勤務しておりました。様々な部署での経験を積んで参りましたが、一番長く勤務していたのが放射線部でした。
 2011年3月11日、東日本大震災に伴う福島原子力発電所事故が発災しました。当時、自宅にて震災のことを知り、テレビ画面に映る津波の映像が衝撃的で今でも鮮明に思い出されます。それから、原発事故により環境中に放射線が放出されたことで日本中が混乱しました。その時はこれからどんなことが起こるのだろう、「放射線」という仕事では聞きなれた言葉をよくニュースで耳にするけれど、「その影響が人にはどのように起こるのか、説明することはできないな。」、「Gy(グレイ)は放射線治療で聞き慣れているけれど、Bq?」というように放射線の基礎知識は乏しかったのです。さらに、核医学検査を受ける患者さんの質問に対し、知識不足のため十分に返答できないということがありました。このような経験から、これまで放射線部で働いてきたにも関わらず、患者さんや住民、その家族の不安を取り除き、安心して検査や治療を受けるまたは暮らせる環境をつくる事が出来ないことに危機感を覚えました。放射線に関する知識を増やし専門性を高め、放射線診療及び治療における放射線看護の実践、また、救急部の経験から関心を抱いた緊急被ばく医療体制の整備及び人材育成を担える看護師を目指し災害・被ばく医療科学共同専攻へ進学する事となりました。
 高村先生や浦田先生を初め諸先生方のご指導のもと、修士課程を修了し、現在は、原研国際の一員として原子力災害医療分野における体制構築及び人材育成、福島県富岡町・大熊町における放射線リスクコミュニケーションに従事しております。
 事故から8年半経った今でも、帰還後、実際に暮らしていく中で自宅周辺の空間線量や自家栽培の食品中の放射能濃度など暮らしの中に根付いた放射線不安は継続しており、一人一人リスク認知が異なる方に丁寧に対応していく難しさを感じながら、微力ながら「放射線と上手く共存しながらも、一人一人がその人らしく生きていく」ことへのお手伝いができればと日々活動しております。看護職の「看護アドボカシー」は病院内のみならず、専門分野が異なっても様々なフィールドで共通するものです。常にアドボケートとしての役割を忘れず意識しながら、患者さんや住民の皆さまのことを第一に考えた放射線看護を展開していきたいと思います。皆様、よろしくお願い致します。

助教 松永 妃都美

助教 松永 妃都美 助教 松永 妃都美
 2020年の4月から原研国際の助教に着任いたしました松永妃都美と申します。
 私は総合病院等での臨床看護を約7年間経験したのち、佐賀大学で保健師免許を取得しました。それからは保健師として、乳幼児やがんの健診事業、特定保健指導など公衆衛生に従事しています。また佐賀大学では地域・国際保健看護学分野に所属し、新地浩一教授より国際緊急援助活動、災害医療・災害看護について豊饒なご指導を賜りました。
 私が放射線看護の重要性を痛感した契機は、東日本大震災の被災者を対象とした質的研究を行ったことでした。私は当時、何の心配もなく子育てを楽しんでいましたが、同じように子育てを楽しめたはずの面接対象者が“インターネットや有識者の話を聞いて、子どもを被ばくさせた罪悪感や子どもの健康影響を懸念して辛い”という経験をしていたことに強い危機感と問題意識を持ちました。この時の経験が活動や研究の原動力になっています。
 長崎大学医歯薬総合研究科の博士課程では、高村昇教授にご指導いただき、リスクコミュニケーションについて卓越したご指導を頂きました。
 日々、専門家として、科学者として未熟であることを痛感していますが、少しでもみなさまのお役に立てるよう精進する覚悟をもって原研国際に所属させて頂いています。ご指導ご鞭撻を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
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