長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野(原研国際)

スタッフあいさつ

准教授 平良 文亨

准教授 平良 文亨 准教授 平良文亨
 2022年7月1日付けで、准教授を拝命いたしました平良です。2017年5月から原研国際で仕事をさせていただいております。私の専門は、環境放射能調査による被ばく線量評価ですが、前職(長崎県環境保健研究センター)で担当していた環境放射能調査で培った知識と技術をベースとしながら、人や環境への影響評価をより高度に展開できるように、世界の原子力災害地域(チョルノービリ、セミパラチンスク、ナガサキ、フクシマ)をフィールドとして研究しています。2011年3月に発生した福島第一原子力発電所事故(以下、「1F事故」という)を契機に、日本の原子力防災への取り組みが大きく変わり、それに伴い環境放射能分野がクローズアップされたものの、1F事故から10年以上が経過する中で、社会や研究者における関心が薄れつつあることを感じています。1F事故後の放射線被ばくに伴う人への健康影響や環境動態、あるいは環境放射能調査に基づく被ばく線量評価は重要ですが、原子力防災や放射線災害対応という観点では、来るべく原子力災害に備えた対応や科学的根拠に基づく情報発信が非常に重要であるとともに、特に若年者への放射線教育の拡充が必要であると思います。これまで、一貫して原子力防災に携わってきた経験から、まさかの緊急時に備えて平時から戦略的に調査研究・教育を行うとともに、長期的視点に立った技術の継承や人材の確保が極めて必要だと考えます。医療の世界では、患者様が罹患前の生活に戻ることを願いつつ治療しますが、そういう意味では、医療従事者の中から原子力災害の緊急時対応に貢献できる人材が多く輩出されることを期待しています。私は、医療従事者の一員である薬剤師でもあるため、患者様あるいは住民の皆様のQOLの維持向上に向けて支援するという社会的使命感も有しています。1F事故後、放射線リスクに関して様々な考え方があり、正解が1つではないという複雑な状況下で、我々専門家が科学的根拠に基づいた情報発信・情報共有と丁寧な説明を意識するとともに、医療従事者という側面から思慮深く地域に寄り添うという姿勢が極めて重要であると考えています。被災地域が復興期を迎える中、これまで以上に安心して生活できるように、共に明るい未来に向かって進むことができるよう地域の皆様と共に歩んでいきたいと思います。

准教授 折田 真紀子

准教授 折田 真紀子 准教授 折田真紀子
 原爆後障害医療研究所国際保健医療福祉学研究分野の准教授に着任しました折田真紀子と申します。どうぞよろしくお願いします。
 私は、平成22年に長崎大学医学部保健学科を卒業後、医歯薬学総合研究科保健学専攻の大学院生となり、高村昇教授のご指導の下、重症心身障害児における心拍変動解析や地域保健活動に関わらせて頂きました。特に、国立病院機構長崎病院では、森俊介先生、平松公三郎先生のご厚情の下で、地域で暮らす重症心身障害児への生活支援に関わらせて頂き、保健医療福祉の統合的な連携の重要性を勉強させて頂きました。
 また、修士課程在学中は、放射線専門看護師養成コースのカリキュラムの中で、主に放射線に関する保健、被ばく医療学を学びました。特に平成24年春からは東日本大震災に伴う福島原発事故の影響を受けた福島県川内村で放射線に関する保健活動をさせて頂くことになり、平成25年春から長崎大学は本格的に川内村に復興推進拠点を設置しましたが、私は原爆後障害医療研究所の大学院生および医歯薬学研究科看護学講座の助教として、遠藤雄幸村長、猪狩貢副村長、井出寿一復興推進課長(当時)、秋元賢保健福祉課長(当時)、山下俊一先生、浦田秀子先生、高村昇先生のご指導の下、拠点活動に関わらせて頂きました。
 現在、川内村が帰還してから6年目を迎えていますが、村への帰還率は80%を超えたと伺っています。川内村は、これまでの復興の過程で、多くの皆さんの時間と努力を必要としたことだろうと思いますが、私に人情の温かさ、自然の豊かさ、一人ひとりの力によって地域が構成されていくことなどを教えてくれました。また、行政と専門家、住民の皆さんとが協力することで、原子力災害からの復興を進めていくことができるのではないかと教えてもらいました。あらためて川内村で活動させて頂いていることに、心から感謝申し上げます。特に川内村の皆さんには、日ごろから拠点活動にご協力を頂き深謝申し上げます。
 今後は、原研国際教室の一員として、放射線に関する地域保健活動と福島復興に資するエビデンスの構築に少しでもお役に立てるよう努力し、将来的には、被ばく医療や原子力防災に関する地域医療・国際保健に少しでも貢献していきたいと考えています。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

助教 松永 妃都美

助教 松永 妃都美 助教 松永 妃都美
 2020年の4月から原研国際の助教に着任いたしました松永妃都美と申します。
 私は総合病院等での臨床看護を約7年間経験したのち、佐賀大学で保健師免許を取得しました。それからは保健師として、乳幼児やがんの健診事業、特定保健指導など公衆衛生に従事しています。また佐賀大学では地域・国際保健看護学分野に所属し、新地浩一教授より国際緊急援助活動、災害医療・災害看護について豊饒なご指導を賜りました。
 私が放射線看護の重要性を痛感した契機は、東日本大震災の被災者を対象とした質的研究を行ったことでした。私は当時、何の心配もなく子育てを楽しんでいましたが、同じように子育てを楽しめたはずの面接対象者が“インターネットや有識者の話を聞いて、子どもを被ばくさせた罪悪感や子どもの健康影響を懸念して辛い”という経験をしていたことに強い危機感と問題意識を持ちました。この時の経験が活動や研究の原動力になっています。
 長崎大学医歯薬総合研究科の博士課程では、高村昇教授にご指導いただき、リスクコミュニケーションについて卓越したご指導を頂きました。
 日々、専門家として、科学者として未熟であることを痛感していますが、少しでもみなさまのお役に立てるよう精進する覚悟をもって原研国際に所属させて頂いています。ご指導ご鞭撻を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

助教 柏﨑 佑哉

助教 柏﨑 佑哉 助教 柏﨑 佑哉
 2021年10月より原研国際の助教に着任しました柏﨑です。臨床心理学を専門としています。修士課程を修了して神奈川県の児童相談所に勤務した1年目に、東日本大震災を経験しました。その日は、子どもたちとともに、迫りくる津波と福島第一原子力発電所事故の報道を連日、息をつめて眺めていたことを記憶しています。
 その後、2012年から福島に移住し、福島県立医科大学にて県民健康調査に携わりました。全県民、あるいは避難指示区域の住民を対象とした大規模な調査は他に類を見ない事業で、前田正治教授のもと、多職種が連携して調査・支援にあたった経験は大変貴重なものとなりました。臨床心理学では『科学者-実践家モデル(研究者としての科学性を持った心理臨床の実践家であるべきである)』という理念がありますが、県民健康調査事業を通し、住民の方と話をさせていただく中で、とりわけ放射線不安に接する際には、支援する側のたしかな知識や科学的な裏付けを持つことの重要性を実感しました。この仕事を機に、2017年より福島県立医科大学の健康リスクコミュニケーション学講座の博士課程に進学し、村上道夫先生、竹林由武先生らの指導のもと科学的研究手法を学び、メンタルヘルスとリスク認知の関連について研究しました。私のキャリアの大部分は福島での活動にあるといって差し支えなく、このような経緯を経て現在、長崎大学原研国際の復興推進拠点で活動させていただいています。高村教授には、地域の復興再生の中心地といえる環境で実践の機会を与えていただいたことに、心から感謝しております。
 震災後10年を経て、浜通り地区に必要とされていることはなにか、そこで我々にできることはなにかを模索しながら、少しでも地域復興に貢献できれば幸いです。

助教 肖 旭

助教 肖 旭 助教 肖 旭
 2022年の3月から原研国際の助教に着任いたしました中国福建省出身の肖旭と申します。

 2018年4月、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科医科学専攻社会医学講座公衆衛生学分野の青柳潔教授の門下、博士課程に入学しました。青柳教授の研究室は、まるで温かい家族のようで、毎日がとても楽しくて仕方がありませんでした。毎週、有馬和彦准教授とお会いして研究の打ち合わせをし、青柳教授と有馬准教授の共同指導のもと、一歩ずつ博士研究を完成させ、研究者になることができました。博士学位論文のテーマは、「地域住民における FTO 遺伝子型と肥満および骨の健康状態との関連性;五島列島における骨の健康に関する研究」でした。この研究が、私が目指す研究の世界への扉を開くことになりました。

 2022年、卒業が近づくにつれ、研究経験が少なく、日本語も不自由な若い外国人である私は今後の進路につき悩んでいました。そんな折、長崎大学原爆後障害医療研究所国際保健医療福祉学研究分野の高村昇教授に履歴書を提出したところ、すぐに面接の案内をいただきました。高村教授は、自分も若くて未熟な時代からやってきたので、若い人にチャンスを与えたいという思いが強いと仰って、今回私にこのような貴重な機会を与えてくださいました。高村教授には心から感謝しています。
 また、原研の同僚達は皆、外国人である私が直面する言葉の壁を理解し、多くの経験を与えてくれ、とても感謝しております。また、この間に福島第一原子力発電所事故後の人々の心の痛みと不安について、多くのことを学ぶことができました。

 2022年10月からは長崎大学富岡復興推進拠点で、毎日住民の方とお会いし、リスクコミュニケーションを実施しています。リスク認識を改善するための原子力に関する教育、医療相談、国際文化や生活に関する話をさせていただいていますが、住民の方々の笑顔を見ると、私は幸せで力強い気持ちになり、励みになっています。すべての経験は贈り物であり、私たち一人ひとりがそれを与えられていると思います。福島での生活と仕事の経験は、私の人生の中で非常に貴重な宝物となっています。また、現在は放射線に関するリスク認知の研究にも取り組んでおり、さまざまなグループに対してリスクを伝えるより良い方法を見出したいと思っています。

 最後になりましたが、私は、公衆衛生学とは全人類の健康と未来のためのものと認識しています。中国の温家宝首相が同済大学100周年を記念して作った現代詩の中に、「地に足を着け、星を見上げる(未来を見据えるとき、足元を固めることを忘れない)」という言葉がありますが、私は公衆衛生を通じて、全人類の健康と未来のために、「地に足を着け、星を見上げる」よう心掛けていきたいと思います。私のささやかな貢献が、放射線に関するリスク認知の分野に少しでも寄与できれば、非常に光栄です。
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