教授あいさつ  
CONTENTS
研究室について
教授あいさつ
スタッフ紹介
研究内容
業績
病理診断について
長崎被爆者腫瘍組織バンク
大学院生募集
写真・その他
長崎大学原研病理[スタッフ・ブログ]
 
 
ホーム教授あいさつ>近況報告(平成25年4月)
 
近況報告 (平成25年4月)
 
教授 中島正洋 長崎大学原爆後障害医療研究所
腫瘍・診断病理学研究分野(原研病理)
教授 中島 正洋

 本年度、原研は創設50周年を迎えました。その記念式典が、原研が事業協力をしています長崎ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)の設立20周年との共催で、この2月にベストウエスタンプレミアホテル長崎で開催されました。永井隆平和記念・長崎賞授賞式や合同シンポジウム「長崎とヒバクシャ医療−被ばく医療学の新たな挑戦:国際貢献・そして福島」、被ばく者医療セミナーが主な内容でした。平成25年度、原研は学内措置により、大学院医歯薬学総合研究科附設から研究所に昇格されることになりました。今後、文部科学省の「共同利用・共同研究拠点」に応募し、大学の枠を越えて全国の研究者が共同利用できる拠点になることを目指します。現在、共同利用・共同研究拠点として、約80の大学附置研究所・施設が認定されていて、本学の熱帯医学研究所や広島大学の原爆放射線医科学研究所がそれに当たります。うまく認定されることになると、設備の整備や共同利用に係る経費について、国から重点的に予算配分が行われます。原研としての51年目は、研究所としての新たなスタートの年となります。
 人事異動についてご紹介します。社会人大学院生から助教に松田さんを採用しました。大学病院の婦人科で年間4000例を一人で担当していた臨床細胞検査士で、婦人科腫瘍が得意分野です。子宮頚部腫瘍の分子病理で、この昨年度に学位を取得しました。5月から放射線発がんの個体差について研究をしてもらっています。松山さんをポスドクから助教へ採用しました。原研病理で十数年来、放射線防護剤の研究に着実に取り組んできました。放射線誘発甲状腺発がんの年齢影響が新しい研究課題です。グローバルCOEのポスドクとして、被爆者腫瘍組織バンクの仕事を担当してもらっていた蔵重さんは原研分子の助教に異動となりました。甲状腺がん幹細胞をテーマに、新しい環境で生き生きと研究に取り組んでいます。今後も我々との共同研究は継続していきます。松山さんと蔵重さんの二人のポスドクが、COEプロジェクト終了後も、無事職場を確保できたのは何よりで、今後のさらなる活躍が期待されます。大学院生では、カザフスタンからの留学生ムサジャノワ ジャンナが昨年無事出産し、現在産休中、学位論文を同時に作成しています。10月から、腫瘍外科より社会人大学院生の大坪先生が仲間に加わってくれました。元助教の平川先生の仕事を後継し、乳癌のセンチネルリンパ節転移の診断法の開発に取り組んでいます。ほとんど基礎データはそろっていて、驚く程、高感度・高特異度・迅速・簡便です。キット化を模索中です。本年からは、さらに、甲状腺濾胞癌の新しい診断法についての研究に取り組んでもらっています。
 原研創設から2年後の昭和39年(1964年)に、原研病理は「病態生理学部門」として誕生しました。従って、平成26年度に原研病理開講50周年を迎えます。教室は西森一正先生から関根一郎先生、そして現在にいたるまで、原研の病理学講座として継承されてまいりました。平成23年度は病理学会の100周年で、来年は日本病理学の偉人、吉田富三が、長崎医科大学で「長崎系腹水肉腫/吉田肉腫」を発見してから70周年です。当時、「吉田肉腫」は化学療法の有効性評価などの研究に広く用いられ、多数の研究業績につながりました。その中で、腫瘍細胞の移植が1個の細胞で十分であることが明らかにされています。この結果はまさに、現在のトピックスである「がん幹細胞」の存在を予言するものであり、特筆すべき業績です。吉田富三は「顕微鏡を考える道具とした最初の思想家」と称されます。「顕微鏡を考える道具」とする病理学の手法は、100年前も現在もかわっていません。私の研究室の壁に、中国出身で教室の同門である温先生からの贈り物の書を掛けています。温先生の友人である、清の第6代皇帝乾隆帝の第7代子孫、愛新覚羅恒紹 氏によるものです。「静観」には、心静かに事物の奥に隠された本質的なものを見極めること、という意味が込められていて、病理学の方法論に通じていると私は思います。病理学の果たすべき役割と可能性は、「基礎」から「臨床」まで広範におよぶことは言うまでもありません。我々の教室では、腫瘍・診断病理と放射線病理をキーワードに、静観と温故創新の精神で、研究、教育、地域医療貢献に微力を尽くしていく所存です。

 
国立大学法人長崎大学
Copyright(C)