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開講50周年に思うこと
 
教授 中島正洋 長崎大学原爆後障害医療研究所
腫瘍・診断病理学研究分野(原研病理)
教授 中島 正洋

 長崎大学における病理学講義は、1857年にポンペが開講した「原病学」に始まり、これがすなわち日本の病理学の原点にもなります。1859年1月1日にポンペが定めた講義表には、病理総論が週3コマ月、水、金曜日の午前中に病理総論が組まれ、解剖学、化学、生理学とともに主科目のひとつでした(小路武彦、相川忠臣;「ポンペの解剖学教育」解剖学雑誌2008)。「病気は細胞の質的・量的変化によって生じる」としたウィルヒョウの細胞病理学は1855年に出版されました。病理学講義録である「朋百原病総論」は、それ以前の臓器病理学や体液病理学時代の学説に拠っていたことが示されていますが、ボードウィンからマンスフェルトに受け継がれ、我が国の病理学教育に大きく寄与しました。「病理学」の過程名は1868年(明治元年)の長崎府医学校の学科序目に初めて認められ、病理学教室が第1、第2と二つに分かれたのは1926年(大正15年)でした。
 原研病理の歴史は、1964年(昭和39年)8月16日、西森一正教授就任をもって始まりました。当時本邦血管病理の第一人者であった松岡 茂第2病理学教授に師事されていて、第2病理助教授からの異動でした。ご自身も腎・血管病理の分野で活躍され、「心因性ストレスと血管病変」がひとつのテーマでありました。さらに原爆被爆者の剖検・生検資料の整理収集を体系づけられ、病理疫学的な多数の貴重な業績を残されています。1987年(昭和62年)3月には関根一郎助教授が第2代教授に就任、被爆者後障害の病理疫学研究は継承されていきます。関根教授は、医学部卒業後、熱帯医学研究所の病理学部門助手となられ、コレラの系統的病理学研究で学位取得後、昭和50年10月に熱研病理から西森先生の原研病理へ移籍されました。消化管病理が専門で、放射線治療誘発大腸がんの病理像・防護薬研究とストレス潰瘍研究の分野でご活躍されました。特に、実験潰瘍学会で論争されていましたストレス潰瘍における交感神経善玉説を、実験動物を用いて見事に証明されたこと、さらに自律神経支配が放射線障害に個体差として影響することを見出された業績は、その後の各領域の研究に大きなインパクトを与えました。西森教授はご自身で「近距離被爆の数少ない生き残りとして私にとって原研は宿命的職場であったかも知れない」と「原研25周年記念誌」の中で述懐されています。西森・関根両教授は放射線病理の研究者であると同時に被爆者でもあり、広島と長崎の経験を人類の医学的知識に体系化に尽力され、教室を継承、発展させてこられました。
 原研施設は2013年(平成25年)創設51年目で研究所となり、医学部から独立しました。研究所ですので研究がミッションの中心となるのですが、学部・全学教育は今まで通りに担当しています。医学部と同格として学内で評価される部局となり、新しい競争環境に身を置くことになりました。原研病理は原爆後障害医療研究施設の病態生理学部門として創設され、現在まで病理学教室として継続しています。日本病理学の偉人、吉田富三は、1943(昭和18)年、長崎医科大学第2病理の教授時代に「長崎系腹水肉腫/吉田肉腫」を発見しました。当時、「吉田肉腫」は化学療法の有効性評価などの研究に広く用いられ、多数の研究業績につながりました。その中で、腫瘍細胞の移植が1個の細胞で十分であることが明らかにされています。この結果はまさに、現在のトピックスである「がん幹細胞」の存在を予言するものであり、特筆すべき業績です。吉田富三は「顕微鏡を考える道具とした最初の思想家」と称されます。昭和14年の卒業アルバムには「人間の歩みには本来方向だけがあって到着地はないものだと思う。従ってその方向の認識如何が実に各々の人間を決定する。一人の人間がどんな方向をとって居るかは些細な事柄にも実に明瞭に表現されるようである」と記し、掲げる目標とその継続性の重要性を挙げています。
 私は診断病理学と放射線の人体影響研究を教室のミッションとして掲げました。放射線被曝と甲状腺発がんはあまりにも有名ですが、発がんに至る過程の慢性甲状腺障害の病態や年齢影響の分子機構は、実はまだほとんど解明されていないと思っています。放射線発がんのみならず、一般的発がん研究につながると確信し、教室全体で取り組んで明らかにしたい研究課題です。被爆者の教授が既に大学から退職され、原研は改組しても、原研病理として見据えるゴールは西森・関根病理と基本的には同じです。私が主任となり、あっという間に5年が経過しました。平和時においてもチェルノブイリや福島のような原子力事故は起こりうるし、地球上には未だに多くの核兵器が存在することを考慮すれば、広島・長崎の経験のもつ意義の重さは自明です。教室創設当時の故西森先生に思いを馳せ、関根先生からの放射線病理の伝統を継承し、温故創新の発想で長崎大学と病理学の発展に貢献していこうと決意を新たにしているところです。
開講50周年記念誌(2015年3月発行)より



開講50周年に思うこと (平成27年3月)


近況報告 (平成25年4月)


原研創設50周年を迎えるにあたり (平成24年4月)


教授就任のあいさつ (平成22年3月)


教授プロフィール

 
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