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医家原子爆弾体験記録

原子爆弾体験記(医師として)
長崎医科大学教授 長谷川高敏 (44歳)

従来の身体状況。
  著患を知らず
当時の身体状況。
  全く健康
被害場所。
  コンクリート2階建の爆心側2階。前爆撃にて破壊され、ガラスを失える窓より
  約4.5米の距離。

直後状況。
 窓側ヘより遠ざからんとせるに打ち倒され、腹位となる。意識を失わず。視力を失う事暫時。聴覚は維持せらる。視力を得て直ちに立ち上り、山を越えて反対側の谷にある自宅に避難する。途中、右上眼部よりの出血止め難く又左腕よりも多少出血せしも、他に特別の事なく歩行も格別支障を認めず。臥床するに及び背部一面に存在する創傷の疼痛、右側後頭部及び左腕創傷の疼痛を覚ゆ。
 受難6日後、調教授の診を受く。即ち「右内眥部上眼瞼に於ける示指頭大切創、右乳様突起部に於ける拇指頭大挫創、左前膞に於ける拇指頭大挫創、脊背全面に於ける小切創並に擦過傷、右前膞、左肘部、左頬部、両側下腿、右足背等の打撲傷、右蹠骨趾骨関節捻挫。尚ショックを併発して衰弱甚し」との診断なり。

1. Zeigefingerspitzengrosser Schnittwunde an des Grabella.
2. Daumenkopfgrosse Quetschwunden am rechten Proc. mastoides and am linken Vorderarm.
3.Zahlreiche kleine Schnittwunden am ganzen Rücken.
4. Distorsion des rechten I. Metatarsophalangealgelenkes.
5. Kontusionen an verschiedenen Körperteilen, d. h. am rechten Vorderarm, linken Ellbogengelenk, beiden Unter-schenkel, rechten Fussrücken usw.
6. Allgemeine Schwäche, welche wahrscheinlich durch Shock verursacht wurde.

経過。
 身体次第に羸痩し、約1週間後其極に達す。即ち鏡によって、顔色を見るに暗蒼色にて乾藻せる皮膚は黒土を思わしむ。眼窩窪み顴骨出で多数の皺現われたり。全身皮膚も亦同色を呈し、皮膚静脈は収縮して、従来著明なりし手背の静脈も其像を認むる能わず。発汗は殆ど停止し、暑熱の日と雖も是を見ず。但し、強く長き体動によりては相当著明に現われ発汗能は認め得らる。
 食慾は特に障碍を認めず。却て一度食物をロ中に入れたる後に於ては其亢進をさえ思わする如き食慾出ず。
 口中特に渇を覚えざれど朝目覚むれば咽頭乾藻して濃き分泌物の附着するを認む。
 気分は常に悪しく酒の2日酔いを続くる如し。
 便は秘結に傾きたれど、尿に異常を認めず。
 感覚機能方面に於ても亦異常なし。
 熱は受難2日目、創傷部より排膿を見んとするに当り39度2分の高熱を見たるも、爾後暫く平熱を続けたり。然るに約3週間後悪寒と共に38度4分の発熱現われ、以来約2週間の間37度台の熱発を続けたり。其間気分は従前に増して著しく悪しくなり、体動時に悪心を覚え、体の平衡維持も充分ならず、左側に高音性耳鳴現われたり。然れども聴力及視力には異常を認めず。従来著変なかりし食慾も減退を来し、熟睡し難く、盗汗出づ。皮膚の乾燥度は更に増加し、顔面に触るるに甚だ粗なり。軽度の咽頭痛あり、粘調なる咽頭分泌物増加せるも、該部の発赤、潰瘍等なし。四肢並びに胸部には多数の小さき紫斑現はる。便通は時に軟く時に硬くなり、出血を伴う。出血液は赤色薄く橙色を帯び粘調度極めて低し。尿には異常を認めず。而して是等症候は熱発の消退すると共に次第に其度を減じ、受難後約7週間に於て殆ど全く認めざるに至れり。受難後約13週なる現在に於ては多少の貧血は認むれど、衰弱は殆ど正常に恢復したり。然れども尚極めて疲労し易く、時に立ち眩みを覚え、右側の耳鳴り依然として著明なり。

治療。
 受難後の環境変化の然らしむる所に従い、其重点を唯栄養に置き、薬物治療は殆ど是を行わざりき。注射は紫斑の現われし当時数日ビタミンB及びCを用いしのみ。内服は時々メタボリン錠剤を用いし事あり。栄養摂取としては特に大食に努めたり。而して食慾減退を起せし時期に於ても変らず努めて大食を行えり。即ち此際食慾の如何を顧みず敢て食餌を胃内に送リ込みしに、パウロフの所謂直接反射とも見なすべきか二次的に食慾出で充分に胃を満し得る事を知り得たり。羸痩を救うは栄養にあり。而して栄養補給の為健全なる胃腸を持つ事こそ肝要なり。
 創傷の治療は受難直後数日は殆ど是を行い得ず。其後約3週間局所の清拭、軟膏(硼酸軟膏)、粉末(ヨードフフォルム末、硼酸末)等を用いしも治癒に向う傾向乏しく、是を中止せり。即ち或は膿性痂皮の生ずる儘に放置し、或は是を発き落し、其治療には意を用いざりき。然れども衰弱の恢復と共に次第に治癒に赴き、現在に於ては右側頭部に於て膿性痂皮に覆はれたる多少の創傷を残すのみなり。興味を覚ゆるは腕部の創傷にて、其附近に顕著なる毛の発生を見たる事なり。
 尚受難後5週間より温泉にて暮せるに、浴後は気分爽快となり、恢復に効果を与えしものと思わる。
(受難後満3ヶ月 1945・11・9 記)


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原子爆弾体験記(医師として)① 原子爆弾体験記(医師として)② 原子爆弾体験記(医師として)③
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原子爆弾体験記(医師として)⑦ 原子爆弾体験記(医師として)⑧  
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館


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