医師らの被爆体験
ホーム>医師らの被爆体験


被爆60周年記念特別講演会
(平成17年7月5日、12日、10月17日) 於:医学部記念講堂
私の被爆体験と被爆者医療 小林 栄一
私の被爆体験−永井隆博士とともに 久松シソノ
“死の谷間"と呼ばれた「原爆症」を体験して 福井  順
友此処に眠る 濱里欣一郎
生死の境 川野 正七
医学徒として原子野で見たもの 土山 秀夫
忘れ得ぬ日々 市丸 道人

原爆犠牲者慰霊祭
(平成26年8月9日) 於:医学部記念講堂
追想 椿山 政子

医家原子爆弾体験記録
医師としての原子爆弾体験記録 序言 古屋野宏平
医師としての原子爆弾体験記録 古屋野宏平
原子爆弾遭難体験記 調  来助
自家の原子爆弾症 北村 包彦
自家の原子爆弾症(英文) 北村 包彦
原子爆弾体験記(医師として) 長谷川高敏
長崎に於ける原子爆弾受傷者としての自家体験(病床日誌) 松下 兼知
原子爆弾体験記 森  重孝
原子爆弾遭難記 昭和20年11月30日 金武 三良
原子爆弾体験記(医師として) 森澤 陽亮
原子爆弾体験記(医師として) 古閑 達也
医師としての原子爆弾体験記 黒木 重徳
原子爆弾体験記(医師として) 佐保 光康




被爆60周年記念特別講演会(平成17年7月5日、12日、10月17日) 於:医学部記念講堂
  ※写真をクリックすると動画でご覧頂けます。  

小林栄一先生
私の被爆体験と被爆者医療PDF
此花診療所 所長 小林栄一
今から60年前、長崎医科大学には医学専門学校(医専)が設置されていた。小林栄一先生は当時、医専の3年生であった。元長崎大学長の土山秀夫先生とは同期である。先生は当時救護活動をされ、その後、医師として被爆者医療に深く携わられた。

久松シソノ先生
私の被爆体験−永井隆博士とともにPDF
附属病院 永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター
名誉センター長 久松シソノ
被爆直後の救護隊のひとつに第11医療隊があった。隊長は物理的療法科(現在の放射線科)の永井隆博士であった。12名で隊が編成され、被災者の救護活動にあたっていた。そのメンバーの一人である久松さんは婦長として永井博士とともに救護にあたられた。

福井 順先生
"死の谷間"と呼ばれた「原爆症」を体験してPDF
長崎記念病院 顧問 福井 順
爆心地より700mの近距離で被爆した原爆の恐ろしい実態と、"死の谷間"と呼ばれた放射線障害による第3期原爆症を奇跡的に乗り越え現在まで60年間生きてこられた。その体験に基づき医師として深い人生観をお持ちである。

濱里欣一郎先生
友此処に眠るPDF
長崎如己の会 理事長 濱里欣一郎
当時、医学専門学校の仮卒業であったため診療資格はなかったが、原爆直後の爆心地周辺の被災者を救護したいと当時の学長に懇願し、特別に許可を得て指導医師の指示のもと、巡回診療にあたられた。学内に散乱する同級生の遺骨を見るに忍びず、遺骨を集め「グビロが丘」に埋葬し慰霊碑を建立された。

川野正七 先生
生死の境PDF
口之津病院 川野正七
60年前のその日のことを思い出すと心が痛みます。長崎医科大学3年生の同級生の大半が被爆によって苦しみ、死亡したのに外科の外来診察室にいた私は古屋野教授と共に生き延びたからです。全員が死亡した1年生と2年生のなかには私の親しかった友人も居たからです。

土山秀夫 先生
医学徒として原子野で見たものPDF
元長崎大学長 土山秀夫
8月9日、ハハキトクの電報で長崎を発ち、ラジオで原爆投下を知って同日夕刻には帰崎の列車に乗る。廃墟と化した浦上一帯を横切り大学病院へ。調教授の救護班に編入され被災者の救護活動に従事。その後、大村海軍病院での日米合同調査団の手伝いや、被爆生存者の聞き取り調査に従事した経験について述べる。

市丸道人 先生
忘れ得ぬ日々PDF
サンレモ リハビリ病院院長 市丸道人
昭和20年8月9日、長崎にいて原爆死を免れたいきさつ、被爆直後の浦上方面の惨状、大学病院及び病院裏山の被爆者の状況、講義室から脱出した同級生のその後、市内小学校各講堂での治療状況等について述べる。原爆後障害と白血病についてもふれたい。
INDEXへ戻る



原爆犠牲者慰霊祭(平成26年8月9日) 於:医学部記念講堂
  ※写真をクリックすると動画でご覧頂けます。  

椿山政子 氏
追想
当時の看護婦 椿山政子
被爆当時、永井隆博士が部長を務めていた放射線科で看護婦として勤務。勤務中に被爆。被爆後、第11医療隊で救護活動に取り組んだ。
INDEXへ戻る



医家原子爆弾体験記録
 この記録は、原爆直後の昭和20年11月に当時の古屋野宏平学長の指示により、長崎医科大学内で被爆し奇跡的に生き残った医師たちの体験をまとめたものである。
 掲載にあたり、原文のカタカナはひらがなに一部の旧漢字は新漢字での表記とした。

医師としての原子爆弾体験記録 序言
医師としての原子爆弾体験記録 序言
長崎医科大学長事務取扱
古屋野宏平
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

医師としての原子爆弾体験記録
医師としての原子爆弾体験記録
教授
古屋野宏平
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾遭難体験記
原子爆弾遭難体験記
長崎医科大学教授
調 来助
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

自家の原子爆弾症
自家の原子爆弾症
長崎医科大学教授
北村包彦
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

自家の原子爆弾症(英文)
自家の原子爆弾症(英文)
長崎医科大学教授
北村包彦
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾体験記(医師として)
原子爆弾体験記(医師として)
長崎医科大学教授
長谷川高敏
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

長崎に於ける原子爆弾受傷者としての自家体験(病床日誌)
長崎に於ける原子爆弾受傷者としての
自家体験(病床日誌)
長崎医科大学精神科助教授
松下兼知
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾体験記
原子爆弾体験記
長崎医科大学助教授
森 重孝
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾遭難記 昭和20年11月30日
原子爆弾遭難記 昭和20年11月30日
長崎医科大学外科助手
金武三良
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾体験記(医師として)
原子爆弾体験記(医師として)
長崎医科大学医師
森澤陽亮
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾体験記(医師として)
原子爆弾体験記(医師として)
長崎医科大学附属医院影浦内科副手
古閑達也
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

医師としての原子爆弾体験記
医師としての原子爆弾体験記
長崎医科大学皮膚泌尿器科教室副手補
黒木重徳
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館

原子爆弾体験記(医師として)
原子爆弾体験記(医師として)
長崎医科大学医学生
佐保光康
所蔵:長崎大学附属図書館医学分館
INDEXへ戻る


ENGLISH
  長崎原子爆弾の医学的影響  
  原子爆弾救護報告書:永井隆  
  原爆の医学的影響:西森一正  
  私の原爆体験と原爆障害の大要:調 来助  
  調博士の調査資料  
  マンハッタン最終報告書  
  原爆被災資料  
  医科大学と附属医院の被害状況  
  医師らの被爆体験  
  「追憶」  
  「忘れな草」  
  原爆医学資料展示室  
  子どもたちの原爆Q&A  
  原爆被爆者データベース  
 
  資料収集保存・解析部について
はじめに
沿革
資料調査室
生体材料保存室
研究概要報告・出版
 
(C) Copyright 国立大学法人長崎大学