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昭和27年原爆班研究報告


白血病観察 (九大 操 坦道)
 原子爆彈災害調査研究班報告(昭和27年12月5日)
 委員 操 坦道

1. 昭和27年度調査研究報告概要
a) 小野教授、入江教授等と共同で、レントゲン照射を行ったラッテについて、経過をおって次の如き事項を分担研究中である。
1.血清蛋白 2.血液像
小野 1.一般症状 2.病理組織
入江 1.血液の殺菌力 2.ビタミン
b) 現在次の如き被爆経験者を観察中である。
(別紙)

2. 未発表論文
Studies on the Atomic Bomb Disease
Misao et al, ca 40 p

3. 既発表論文
1) 長崎市に投下せられた原子爆彈の千々石方面に於ける影響: 福岡医学会、昭20.11(勝木、木村 他)
2) 所謂原子爆彈症の臨床的観察: 福岡医学会、昭20.10 日本内科学会 昭21.4(操、他)
3) 長崎市某結核療養所に於ける原子爆彈症調査: 日本放射線学会 昭22.4
4) 余等が経験せる原子爆彈症について:日本血液学会 昭27.4 (操、木村登、木村光、服部、柳瀬、福田、原田)
5) 原子爆彈症の血液並びに骨髄像: 日本血液学会、昭27.4(操、服部)
6) A Case of Acute Monocytic Leukemia after Atomic Bomb Disease;  Kyushu Memoirs of Medical Sciences, Vol.2, No.1-2, June 1951. (Misao. Harada. Hattori)

(別紙)原子爆彈症経過7年後に發症せる骨髄性白血病の一例
 患者.  藤○錦○ 27才、♂、事務員
 家族歴。 概して長命の家系で、癌、血液、結核性疾患を出していない。其他特記すべきことはない。
 生活歴竝に前病歴。 生来健康で、19才の時右急性肺炎に罹患したことがある。
 現病歴。 昭和20年8月6日広島に於て、爆心地から1 kmの地点で右側面から被爆。昭和20年9月1日全身倦怠、火傷、食慾不振、不規則な熱発、頭部脱毛を主訴としてわが第一内科に入院、この時の末梢血及び骨髄所見は一括して第1表に表示したが、臨床所見と併せ考え、軽症の原子爆彈症と見なされた。昭和20年11月諸症軽快して退院。その後1ヶ月に1回の割合で健康診断をうけていたが、異常を認められなかった。昭和23年4月会社に就職し、普通の勤務に耐えた。昭和27年8月頃から全身倦怠感、下肢脱力感、下肢に浮腫を認め、9月中旬医療を乞い、肝、脾腫、並に9月末白血球の増夛(5万)、赤血球の減少を指摘され、昭和27年10月17日我内科に再入院した。
 再入院時所見 栄養中等度。頭髪普通、右顔面、右手に火傷の瘢痕を認める。瞼結膜軽度貧血状、眼球結膜に黄疸を認めず。脈70、整、緊張良、血圧最高110、最低70耗。心臓は打診上異常を見ないが、第一心尖音並に第一大動脈音不純、肺動脈瓣口にて収縮期性雑音、第2音亢進。肺は左下部にて断続性呼吸音を聞く他は異常なく、又胸部レントゲン写真でも異常を認めない。腹部では上腹部軽度に膨隆、肝は4横指径觸れ彈性軟、表面平滑、肝縁はやや丸味を帯びており、脾は4横指径、平滑、やや硬く触れる。その他の腹部腫瘤は触れない。
淋巴腺は両側頚部にそれぞれ3~4個、米粒大に触れる。腋窩腺は触れない。両側鼠蹊部に3~4個宛、米粒大乃至小豆大に触れる。
 血液所見(第1表) 赤血球260万、血色素66%、色素係数1.27、白血球16.38万,
網状赤血球0%、血小板38.22万。出血時間3分。血液凝固時間(Fonio法)開始5分10秒、完結13分。白血球像としては骨髄芽球0.8%で、小、中、大の外にリーデル型も認め、好中球では前骨髄球25.4%、骨髄球6.4%、後骨髄球8.6%、桿核球34.0%、分節核球15.0%。好酸球では前骨髄球0%、骨髄球0.6%、後骨髄球0.2%、桿核球0.4%、分節核球0.4%。好塩基球では前骨髄球0%、骨髄球0.2%、後骨髄球0%、桿核球1.0%、分節核球2.6%。その他單球0.8%、淋巴球3.6%である。腸骨骨髄穿刺所見は有核細胞数は51万で、赤芽球系は僅か3.0%である。
 肝、脾穿刺所見としては骨髄性化生を認め、脾穿刺像は骨髄像にほぼ近似し、肝穿刺像より異所的増生が強い様に思われる。
 血清梅毒反応陰性、血清高田反応陰性、ヘパトサルファレインテスト1.0%、ルンペルレーデ陰性、赤血球抵抗試験、ウエルトマン氏凝固帯共に正常、血清Ca9.2 mg/dl、P 4.6 mg/dl、アルカリフォスファターゼ6.0 mg/dlですべて正常値を示した。
 尿には蛋白、ウロビリン、ウロビリノゲーン、ベンス・ジーンス蛋白体等何れも陰性で、沈渣に白血球の少数を見た。便は潜血反応陽性で、十二指腸虫卵を認める。
 入院後の経過、治療
 入院以来熱型は36°8’で、時に37°を越す程度である。肝脾腫は第2表に示す様に可成急速に増大し、何れも6横指径触れ、肝縁は凹凸を示すに至った。入院後22日目からT.E.M(トリ・エチレン・メラミン)の経口投与を開始し、26日間に64 mgを投与した。その効果を見るに肝は4横指径に縮小し、肝縁は円味を失い鋭となり、凹凸も消失し、1直線に触れる様になった。之に反して脾は依然として増大を示し、肋骨弓下7横指径、下縁は臍高、内縁は白線に至って居る。白血球数は使用前14.6万から10.5万に減少したが、著しい効果とは言えない。副作用は殆んど認めなかったが、48 mgに達する頃から軽度の食慾不振を訴える様になった。現在なお経過観察中の症例であるが、今後ウレタン、ナイトロミン、P32等の使用を予定している。

 本患者は昭和20年8月に被爆し、当時の精細な諸検査に係らず白血病の徴候を認めなかったものであるが、7年後にして著明な肝脾腫を伴う定型的な慢性骨髄性白血病を来した例である。


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