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研究報告・診察記録等
 
長崎医科大学第11医療隊  原子爆弾救護報告
長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察
(複写用原稿)
長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察
日米合同調査団診察記録
巡回診療班カルテ
昭和27年原爆班研究報告
永井隆博士のサムエル・ベルグ医師宛ての私信
医科大学・医専の校印



長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察 複写用原稿 長崎に於ける原子爆弾傷害の
統計的観察 複写用原稿

長崎医大の調 来助教授の調査報告書の原稿複製を目的に作成されたと考えられる。昭和45年6月12日 当時、広島大学の学長であった飯島宗一氏より広島大学原爆放射能医学研究所(現:広島大学原爆放射線医科学研究所)に寄贈された。調 来助氏から飯島宗一氏に渡った経緯は不明である。
所蔵 広島大学 原爆放射線医科学研究所



長崎に於ける原子爆弾傷害の統計的観察 原本 長崎に於ける原子爆弾傷害の
統計的観察 原本
詳細

長崎医大の調 来助教授が、1945(昭和20)年10月下旬から半月間の調査内容をその後約1年間かけて執筆したものである。
長崎の被爆者を対象とした医学的調査としては、最も早い時期に実施された調査である。英文の抄訳が米軍の医学雑誌「ミリタリーサージョン」に掲載されたが、原文の形では長く未発表だった。1982年、被爆当時の日記とともに「医師の証言 長崎原爆体験/調来助・吉澤康雄」(東京大学出版会)に全文が掲載された。
2006年、ナシム出版事業として英文が発刊された。
所蔵 調 朝子



日米合同調査団診察記録 日米合同調査団診察記録

長崎医科大学で被爆した161名の診察記録。
附属図書館医学分館所蔵



巡回診療班カルテ 巡回診療班カルテ
復員青年医師9名が古屋野学長の許可を得て9月30日から巡回診療を行った。カルテ137枚には被爆距離や白血球数が記録されている。
附属図書館医学分館所蔵



昭和20年8月9日の原子爆弾に依る  被害状況 昭和27年原爆班研究報告 詳細

1952年(昭和27年)に「原子爆弾災害調査研究」が文部科学研究費総合研究として組織された。初年度に各委員から提出された報告書および手紙である。長崎においては調 来助教授がとりまとめを行っていた。
日本学術会議から1951年(昭和26年)8月に「原子爆弾災害調査報告書 総括編」が発行され、続いて1953年(昭和28年)5月に「原子爆弾災害調査報告集」が発行された。原爆から2~3年後、原爆調査研究は一旦収束したかのようであった。その後、1952年(昭和27年)から再開された。初年度のため、報告書は未発表または研究中とされている。
所蔵 広島大学 原爆放射線医科学研究所



永井隆博士の  サムエルベルグ医師宛ての私信 永井隆博士の
サムエルベルグ医師宛ての私信
PDF

1950年2月7日、永井隆がサムエル・ベルグ先生にあてた手紙(返還資料)。



本部の焼跡から掘り出された『長崎医科大学』と『医学専門学校』の校印。印材が石であったため残存した。 医科大学・医専の校印

本部の焼跡から掘り出された『長崎医科大学』と『医学専門学校』の校印。印材が石であったため残存した。
青木義勇 記(附属図書館医学分館所蔵)


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